野々村琢人 西川株式会社 日本睡眠科学研究所所長
睡眠科学が変える健康経営 ―― エビデンスが切り拓く快眠ビジネスの未来

「睡眠」は今や、個人の健康管理にとどまらず、企業の生産性や人的資本経営を左右する重要な経営課題となっている。睡眠不足による労働生産性の低下や健康リスクが社会問題となる中、睡眠計測技術やAI・ビッグデータを活用したスリープテック(睡眠テクノロジー)も急速に発展し、睡眠関連市場は新たな成長分野として世界的な注目を集めている。

こうした中、2026年6月26日に開催された「ライフスタイルEXPO 2026 夏」において、西川株式会社日本睡眠科学研究所所長の野々村琢人氏は、「最新の睡眠科学と商品開発の接点―エビデンスに基づく“快眠商材”の可能性―」をテーマに講演した。

本誌では講演後、野々村氏にインタビューを行い、世界の睡眠研究の最前線、日本と中国における睡眠ビジネスの現状、健康経営における睡眠科学の役割、そして科学的根拠に基づく快眠商材のあり方について話を聞いた。

 

睡眠研究をリードする欧米とアジア

―― 世界的に見て、睡眠研究や睡眠ビジネスの分野で先行している国・地域はどこでしょうか。その理由もお聞かせください。

野々村 一言で言いますと、欧米諸国と一部のアジアです。欧米では、アメリカやドイツを中心に、1970年代頃から睡眠専門機関や研究所が設立され、睡眠医学の研究が進められてきました。アメリカでは睡眠を専門に扱う独立した診療科が以前から存在しています。

一方、日本ではこれまで標榜科がなく、睡眠に悩む方は内科に行くべきか精神科に行くべきか迷う状態でした。そんな日本もこの6月から「睡眠障害」が標榜科として追加され「睡眠障害内科」や「睡眠精神科」という名称で患者さんの早期受診の体制が整い始めました。

ビジネスの面では、アメリカを中心に、ITやAIを活用して睡眠状態を測定・分析し、改善につなげる「スリープテック」が大きく発展しています。睡眠はデータとの親和性が高く、テクノロジーを活用しやすい分野でもあります。

アジアでは、日本と中国が先行しています。中国は1990年代頃から本格的に睡眠研究が始まりましたが、ビッグデータの活用に優れ、多くの健康データを研究に生かしています。また、オンライン診療も日本より進んでおり、そうした医療・デジタル基盤を背景に研究が急速に発展しています。

日本でも睡眠研究は大きく進展しています。その背景には、日本人の睡眠時間がOECD諸国の中でも最も短い水準にあり、睡眠不足が健康だけでなく、労働生産性や経済にも大きな影響を及ぼしているという社会課題があります。そのため、公衆衛生や健康経営の観点から、研究・ビジネスの両面で発展してきました。

私どもの日本睡眠科学研究所は1984年に設立されました。当時は「気持ちがいい」「よく眠れる」といった感覚的な表現が中心で、「エビデンス」という考え方は一般的ではありませんでした。そこで、感覚ではなく科学的・工学的な手法で睡眠や寝具を研究し、商品開発につなげることを目的に研究所を設立しました。民間企業の睡眠研究所としては、国内でも草分け的な存在だと思います。

「ライフスタイル Week 夏 2026」(2026年6月26日)で講演する野々村所長(左)

睡眠が企業の生産性を左右する

―― 中国でも睡眠不足やストレスが社会課題となっています。日本の睡眠科学は、企業の健康経営や生産性向上にどのように役立つとお考えでしょうか。

野々村 健康経営の視点で最も重要なのは、睡眠不足がパフォーマンスの低下や生産性の悪化につながるということです。健康上の問題による労働損失には、「アブセンティズム」と「プレゼンティズム」があります。アブセンティズムは病気などで会社を休む状態、プレゼンティズムは出勤していても体調不良のため本来の能力を十分に発揮できない状態を指します。

睡眠不足は、このプレゼンティズムを引き起こす代表的な要因の一つです。寝不足が約2週間続くと、一晩徹夜した場合と同程度までパフォーマンスが低下すると言われています。つまり、睡眠を改善することは欠勤を防ぐだけでなく、出勤している社員の生産性向上にも直結します。

日本では近年、睡眠を健康経営や経済活動の重要課題として捉える企業が増えており、睡眠測定や睡眠教育、職場・自宅の睡眠環境改善など、測定だけでなく改善まで支援するサービスが広がっています。私どもも、睡眠状態の測定だけで終わらせず、「なぜ眠れないのか」「どうすれば改善できるのか」という具体的な提案を重視しています。

また、昼寝や仮眠の研究にも力を入れています。仮眠がパフォーマンスの回復に有効であることは以前から知られていましたが、私どもでは光や香り、温度、マットレスの形状まで最適化した仮眠環境を整えています。こうした環境で短時間の仮眠を取ることで、仕事のパフォーマンスが大きく回復することを確認しており、その成果は日本生理人類学会でも発表しています。

睡眠科学は、社員が健康な状態で能力を最大限発揮できる環境を整えることで、健康経営や企業の生産性向上に大きく貢献できると考えています。

日本睡眠科学研究所での睡眠測定の様子

エビデンスが商品価値を決める

―― 「エビデンスに基づく快眠商材」を開発するうえで、企業が最も重視すべき点は何でしょうか。

野々村 一つだけに絞るのは難しいのですが、最も重要なのは、科学的に妥当なエビデンスを持ち、それを適切に開示・更新していくことです。単に利用者の感想が良いというだけではなく、「どのような条件で、誰を対象に、どのような方法で効果を確認したのか」を明確に示す必要があります。そのため、各業界ではガイドラインや基準が整備されています。寝具業界では、日本寝具寝装品協会(JBA)が「ヘルスケア認定寝具」の基準を設けています。こうした第三者基準に沿って商品を開発・評価することが重要です。

また、食品には機能性表示食品制度があるように、寝具や衣料品についても広告表現によっては薬機法との関係が生じます。近年話題となったリカバリーウェアも、商品自体の価値とは別に、表示や広告の仕方が薬機法上の問題として指摘された事例がありました。

企業は、「本当に効果があるのか」という科学的な視点と、「その効果をどのように表現するか」という法的な視点の両方を持たなければなりません。快眠商材は、人の健康に関わる商品です。イメージや流行だけで開発するのではなく、科学的根拠、業界基準、関連法規を一体として考えることが不可欠だと思います。

 

睡眠が生む新たな市場

―― 睡眠関連商品は、寝具の枠を超え、健康・ウェルネス産業へと広がっています。今後、企業にとってどのようなビジネスチャンスがあるとお考えですか。

野々村 最も大きな可能性があるのは、B2B、つまり企業向けの健康経営市場だと思います。少子高齢化が進み、働く人が減少する中、企業には限られた人材で生産性を高めることが求められています。そのため、一人ひとりが健康を維持し、本来の能力を十分に発揮できる環境づくりが、これまで以上に重要になっています。

これまでは健康と言えば、「食事」と「運動」が中心でした。食事改善やフィットネスなどのサービスは数多くありますが、食事や運動と同じくらい重要な睡眠については、十分なソリューションが提供されてきませんでした。しかし近年、睡眠が健康や仕事のパフォーマンスに大きく関わることが明らかになり、企業の関心も急速に高まっています。

そのため、社員の睡眠状態を測定・分析するサービス、睡眠教育、仮眠スペースの整備、照明や空調など職場環境の改善、さらには自宅での睡眠環境改善を支援するサービスなど、多様なビジネスが期待されています。

商品分野では、リカバリーウェアや機能性寝具への関心が高まる一方、今後は「体験型」の価値がさらに重要になると考えています。私どもも店頭で体圧分散性などを測定し、お客様一人ひとりに適した寝具を提案しています。実際に測定し、寝心地を体験し、自分に合っていることを納得したうえで購入していただくような体験型・個別提案型の販売は、今後さらに広がっていくでしょう。

睡眠は寝具だけで完結するものではありません。照明や空調、香り、住宅、IT、医療、健康管理など、多くの分野と結び付くテーマです。その意味で、睡眠関連市場は健康・ウェルネス産業全体へ広がる大きなビジネスチャンスを持っていると思います。

 

広告よりエビデンス

―― 現在、市場には「快眠」をうたう商品が数多く存在します。本当に科学的根拠を持つ商品と、そうでない商品を見分けるポイントはどこにあるのでしょうか。

野々村 これは難しい問題です。一般消費者が商品を選ぶ場合と、企業が商品開発やコラボレーション先を選ぶ場合では、確認すべきポイントが異なります。

一般消費者にとって最も大切なのは、広告表現に惑わされないことです。例えば、「睡眠には○○が重要です」と、公的機関や専門家の研究を引用したうえで、「私たちはそれを目指して商品を開発しました」と説明されることがあります。しかし、それだけで「この商品を使えば睡眠が改善する」と証明されているわけではありません。

一般論として睡眠に重要な要素と、その商品自体の効果は区別して考える必要があります。そのため、「睡眠に○○が重要」という説明だけではなく、その商品を使った実験が実際に行われているのか、どのような結果が確認されているのかまで見ることが大切です。

また、レビューは参考になりますが、主観的な評価や、いわゆる「やらせレビュー」が含まれる可能性もあります。レビューだけで判断せず、信頼できる機関や専門家による評価も確認していただきたいと思います。

一方、企業が商品開発や共同事業を検討する場合は、より厳密な検証が必要です。実験データがあっても、それが万人に当てはまるのか、特定の条件だけで有効なのかを見極めなければなりません。さらに、実験人数や比較対象、統計的な妥当性なども確認する必要があります。

私どもも企業の商品開発監修や新規事業のコンサルティングを行っていますが、広告だけを見ると優れているように見える商品でも、実験条件や法規制まで確認すると、そのまま商品化や販売を進めることが難しいケースも少なくありません。

一般消費者にとっても企業にとっても重要なのは、広告や印象だけで判断しないことです。科学的根拠を確認し、必要に応じてヘルスケアやスリープテックに精通した専門家の知見を活用することが、信頼できる商品を見極める最も確実な方法だと思います。

 

睡眠科学で健康経営を支える

―― 日本睡眠科学研究所は、今後どのように健康経営の推進へ貢献していくのでしょうか。

野々村 健康経営では、睡眠を測定すること自体が目的ではありません。睡眠状態を可視化した上で、「どうすれば睡眠の質を改善できるのか」という具体的な解決策まで提供することが重要です。

そのため、私どもでは寝具だけでなく、睡眠生理や寝室の温度・湿度、照明、音など、睡眠環境全体を研究対象としています。また、大学や医療機関との共同研究を通じて、科学的根拠に基づく商品やサービスの開発を進めています。

企業向けには、社員一人ひとりの睡眠課題を把握し、睡眠教育や生活習慣の改善、睡眠環境の見直しにつなげる支援にも取り組んでいます。こうした活動を通じて、生産性向上やメンタルヘルスの改善、安全対策など、健康経営を総合的にサポートしていきたいと考えています。

1984年の研究所設立以来、一貫して「睡眠を科学する」という姿勢を大切にしてきました。今後も、科学的根拠に基づく睡眠ソリューションを提供し、人々の健康と企業の持続的な成長に貢献していきたいと考えています。