
工夫茶
茶の味に就いては支那人は中々よく會得してゐる。左の記事は淸朝のむかし梁茝林中丞が茶の名産地たる福建の武夷に遊び、天遊觀に宿かりて靜參羽士から聞いた談を筆記したものである。
靜參曰く茶名に四等あり。茶品に四等あり。福州城内の官吏富豪は競うて武夷を尙ぶ。其最も著はるゝものは花香なり、花香より勝るものは小種なり。山中、小種を以て常品となす。更に小種の上を名種といふ。泉州厦門の工夫茶を嗜む者、號して名種と稱するも實は僅に小種を得るに過ぎず。而して尙ほ之より勝る者あり。曰く奇種、たとへば雪梅、木瓜の類の如し。卽ち山中亦多く得べからず。おほよそ茶樹にして梅花に相近きものは梅花の味を引き、木瓜に相近きものは木瓜の味を引く。他は類推すべし。且つ烹る時また必ず山中の水を用ゐて、まさに能くその精英を發すべし。時を閲みする稍久しければその味亦すなはち稍退く。三十六峰中また僅にこれあり寺觀藏するところ每種一斤を滿す能はず。之を極小の錫瓶に貯へ、名種の大瓶に裝す(名種入りの大瓶の中に奇種入りの小瓶を納めて置く)たまへ貴客名流あり山に至れば始めて少許を出し鄭重に之を瀹す。其小瓶を裝するに用ゆる者も亦題して奇種といふ。實は皆名種なり。雜じゆるに木瓜梅花等の物を以てし其香を助く。眞の奇種に非る也。
茶品の四等に至つては一に曰く香、花香小種の類みな之れあり。今の茶を品する者は此を以て無上妙諦となす。而かも知らず、淸あり、甘あり、活あるを。香にして而して淸ならざるは猶ほ凡品也。香にして而して甘からざるは則ち苦茗也。甘にして而して活ならざるは亦尋常好茶に過ぎざる而已。活の一字は須らく舌本を以て之を辨ずべし。微ならん乎、微なり。然かも亦必ず瀹するに山中の水を以てし、まさに能く此消息を語るべしと。
一體支那人は高山の野生茶を愛する風がある。葉茶屋の軒さきの看板に雲霧茶とあるのは、雲霧つねにかゝる山中の葉を摘み來つたものだといふ意を示すのである。そこで左のような珍談もある。
溫州雁宕山に猴あり。每年晚春の頃やゝもすれば高山の茶葉を採つて山僧におくる。蓋し僧嘗て冬時猴の食無きを憫み、小袋に米を盛つて之を投じたりき。猴の茶を贈るはその答禮なり。試みに泉水を以て煮るに味淸腴、平陽の宋燕生は嘗て之を得たりと。
右様の次第で茶の眞の味はひを知らうといふのは容易な事ではない。そこで福建廣東地方では工夫茶といふ事が行はれ、いろへ八釜しい穿鑿や撰り好みをなし、遂に之がため財産を蕩盡するに至る者さへある。工夫茶に用ゆる茶は武夷茶に限られ、武夷のなかでも名種以上のものでなければならぬ。水は茶の産出地の泉水を最上とし假令へば龍井(ロンチン)の茶を虎跑(フーパオ)の水で烹るやうなわけであるが、之は容易な事でないから大抵至近の淸泉で間に合はせて置く。又雪水も大に尊ばれ、雪水を以て茶を烹れは俊味ありなどといつてゐる。乾隆帝嘗て一銀斗を作り全國の水を集めて品評したが、京師の海淀鎭西の玉泉を第一とし、中冷の水これに次ぎ、無錫の惠泉。杭州の虎跑また之に次ぐ。此外たゞ雪水最も輕く玉泉と雙び賞すべしと言つてゐた。
爐に用ゆる炭は質が固く臭氣が無く、灰を生ぜぬものを撰むので、多くは橄欖の種を以て製す。

茶器の好みは日本の茶人と同じくつかひ込んだ古物や隨分ひねくれた物を愛する。先づ爐は圓筒形高さ一尺二三寸の細白泥製のものを通例とする。壺即ち急須は宜興産の物が可い。其形は圓體扁腹、努嘴曲柄といふわけで多人數の時には四合入位のものを用ゐ、少人數の時には拳大のものを用ゆ。茶碗は胡桃のような小さなものが通例である。茶盆は山水人物を寫した瓷製滿月形のもの、長方形の物等が一般向きであるが、時として瓦鐺棕墊紙扇竹夾のたぐゐを用ゐ珍奇を好み數奇を凝らす者もある。
工夫茶には必ず煎茶を用ゆる。抹茶は現在支那にはない。福建人邱子明が嘗て行つた方法は頗る念の入つたものである。先つガラス壺を庭に置き、一月過ぎてのち新しい泉を汲み込み、此水を用ゐて茶を烹る。但し宵越しの水は用ゐぬから、次の日入用ならば別の壺を用ゆ。無論之れも一月庭にさらして置いたものである。次に橄欖の炭火を爐の底に入れ、鐺を掛け水を張る。火力は强きを好むゆゑ小さな鞴を用ゐて盛んに炭火をいこす。湯加減には三通りあり。初沸を蟹眼といひ再沸を魚眼といひ最高を聯珠沸といふ。此加減は中々六つかしく若過ぎても熱し過ぎてもいかん。要は程の好い處を見るのでそこが茶道の面白味である。偖て湯が沸いて蟹眼に至ると一杯汲んで急須の中に灌ぎ、之を洗滌する。次に茶の葉を冷水に入れて塵滓を去り、水を切つて急須の中に摘み込む。其時既に魚眼に達してゐるので直に湯を急須を灌いで蓋をし、之を銅盤の中に置く。間もなく湯は聯珠沸となるので一杯汲み、ボッへと気長に急須の上に萬遍無く滴らす。この滴した湯が急須の外側を傳はつて銅盤に落ち、だんへ溜つてそれが溢れさうになる頃、滴湯を止めて急須の上に拭巾をかぶせ、軈て茶の薫が充分發したところを見計らつて茶碗に注ぎ客に出す。茶碗は小さいから一口で飲み干す事も出来るが、若しそうしたら大變、此無風流者は一遍で主人に愛懀をつかされて仕舞ふのである。こんな風に工夫茶に凝り出して来たら、際限無く金が費る。先づ茶と言つても靜參羽士の言つたような奇種を求めるには容易ならぬ事だし水は、其土地の淸泉だとすれば、わざへ汲んで來なければならない。茶器にしろ何にしろ好きを極めて穿鑿したらしきりのない話だ。そこで日本の茶人にもありさうな左のやうな面白い話も傳つてゐる。
潮州の某富翁は茶を好むこと尤も甚し。一日丐至り門に倚つて立ち、翁を睨して曰く、聞くならく君の家の茶は甚だ精なりと、能く一杯を賜はるや否や。富翁哂うて曰く汝、乞兒も亦此れを解する乎。丐曰く我れや襄に亦富人なり、茶を以て家を破る。今妻孥猶ほあるにより之を行つて自ら活くと。富人因つて茶を斟んで之に與ふ。丐、飲みおはつて曰く茶は固より佳し。惜しむらくは末だ醇厚を極めず。蓋し壺ははなはだ新しき故也、吾れ一壺あり。今出づる毎に必ず携ゆ、凍餧すと雖も未だ嘗て舎てずと。索めて之を觀るに洵に精絶、色黝然たり、蓋を啓けば則ち香氣淸冽、覺えず愛慕して試に茶を煎ずれば味果して淸醇、遙に尋常に異るにより之を購はんと欲す。丐曰く吾れ全售する能はず、今まさに君に半をうらんとす。君と吾と千五百金。之を君の家中に置き、時々君齋に至つて啜茗淸談し此壺を共享せんとす、如何んと。富翁は欣然として諾し、丐は金を取つて歸りぬ。爾後果たして日々にその家に至り、茶を烹て對坐す。故交の如し云々と。

明前雨前
武夷茶と相對して贅澤屋の間に喜ばれてゐるのは龍井茶である。前淸時代貢茶と稱して朝廷に貢獻した茶は龍井中の最上品であつたが今僅に數株を残してゐるに過ぎない。而かも年々枯るゝ一方であるとは心細い。龍井は地面が狹く茶の産額は少いが其品質が優良の爲め、天下に名高くなつたのである。眞の龍井茶は葉が尖つて厚く端に些少の割れ目がある。そして味が淸香で色が變はらない處に値打がある。龍井は西湖畔を去る三里の處で舊名獅子峰といひ、周圍四五里の地域で山嶽連綿として圍み面積狹隘、運搬の便を缺く爲め昔から進歩遅々である。
獅子峰の地質は砂礫と土塊から成り立ち、山の東方に茶を栽培してゐる。其種植法は先づ茶の實を集めて土中に埋め冬を越す。之は蟲害を防ぐ爲めである。春季に至り約五尺の距離で山地に植え、肥料は石炭豆粕などが重で、人糞は時々用ゐるが其量は極めて少い。蓋し人糞は不潔で色澤を損する虞れがあるといふのである。さうして毎年一回耕し大旱の時以外には決して水を灌がぬ。四年目から初めて摘採を行ふ。大概淸明節から穀雨節まで第一季とし、穀雨以後を第二季とし、立夏以後は葉の味不良となるので、多くは之を紅茶に製する。即ち淸明以前の物は明前と號けて最上品とし、穀雨以前の物は雨前と號けて次ぎ物とするのであるが實際は前に記した第一季が明前第二季が雨前である。茶摘みは十歳から十五六歳までの女の兒が行ふ。手間賃は採收十匁に付き六文である。
茶の葉は摘んでからスグ焙爐に掛ける。そうせぬと色が惡くなる。燃料は香氣と關係するので極めて清潔な惡臭を放たぬものを選び多くは松葉山茅の類を用ゐる。火度は更に嚴密な注意を要する。少しの度がちがつてゐても品質を傷める虞れがあるので通例一つ鍋に二人の熟練家が附いて仕事をする。即ち一人は鍋づらに手をあて火加減を見てゐるとき他の一人は徐々に茶の葉を攪き拌ぜ、漸次乾燥せしめるのである。従つて五十匁の茶を作るにも三十分以上を費し、又乾燥後揉み上げる事も中々手がかゝるので二人掛りで一日僅か四五十匁しか出来上らぬ。若し七十匁作らうとするには容易な事ではないと。
本當の龍井茶は産地の相場で第一回採收の物が三元乃至四元、第二回採收のものは一元乃至二元である。而かも市場で販賣する價格は産地の二倍である。そうして之を取り扱つてゐる者は杭州城内の翁隆盛一軒だけであるから、多く買はふと思ふ時には先づ豫約して置かなければならぬ。其他の茶商は龍井といふ茶を販賣しても實際はその附近の産出に係るものである。即ち獅子峰の南面、十八澗、翁家山から滿覺壠までの南、三里莊地方、又十里莊から棲霞山までの間に産出する茶は皆龍井と稱してゐる。
トップニュース
![]() |
2026/5/20 |
|
![]() |
2026/4/25 |
|
![]() |
2026/3/26 |
|
![]() |
2026/3/10 |
|
![]() |
2026/3/10 |
|
![]() |
2026/2/4 |