神奈川県産の名茶といえば、百年の歴史を誇る「足柄茶」を思い浮かべるかもしれない。ところが、主要な産地は神奈川県南足柄市に隣接する秦野市である。同市は日本の主要な茶産地の一つでもある。筆者は所用で何度も秦野市を訪れ、産地にまつわるさまざまな逸話を知ることとなった。本稿では、それらをお茶愛好家のみなさんと共有したい。
正直に言うと、私が初めて秦野市を訪れた頃、茶とはまったく無縁であった。私は長年、「御府内八十八箇所」の御朱印を集めることを趣味としている。この88の寺院は、いずれも東京都内に存在していたが、三田にあった「佛乘院」が、1987年に突如、神奈川県秦野市蓑毛へ移転し、都内から遠のいてしまった。新宿から小田急ロマンスカーで伊勢原駅まで行き、小田急小田原線に乗り換えて秦野駅で下車し、駅を出て「秦20」系統のバスに乗り、19の停留所を通過して蓑毛で下車し、そこからさらに15分ほど歩いてようやく佛乘院に辿り着く。実に骨の折れる道程である。そのため、御府内巡りをする人たちの間では、佛乘院は「難所」とされている。それでも、佛乘院を欠くことはできない。現地に赴いて初めて、秦野が関東地方の主要な茶の産地であることを知った。まさに『済公全伝』に「行ってみなければ、そこがどんな場所かは永遠に分からない」とある通りである。
秦野の歴史は、日本の平安時代末期、中国の北宋時代にまで遡るとされる。1030年、名将・藤原秀郷の子孫がこの地に移り住み、波多野氏を名乗った。藤原秀郷は平将門の乱を制圧し、将門を日本史の三大怨霊へと追いやった人物である。その子孫が秦野の地に定着し、松田氏、渋沢氏、河村氏、栢山氏、大友氏、沼田氏などに分家し、現在の秦野市、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市にまで勢力を広げた。その後、彼らは鎌倉幕府の御家人となり、波多野氏は戦国大名となった。
明治維新以降、秦野地域の近代化は急速に進んだ。1890年3月、横浜や函館とほぼ同時期に上水道が敷設された。秦野は、日本国内でいち早く水道設備が整備された地域なのである。「曽屋水道」は、日本初の簡易陶管水道として知られている。秦野の都市整備が進んだのは、決して経済的に豊かであったからではない。では、その資金はどこから生まれたのか。秦野を富ませたのは「一枚の葉」であった。誤解してはならない。それは茶葉ではなく葉たばこであった。
秦野は、国内三大葉たばこ産地の一つである。豊かでないはずはない。1899年、日本政府によって「秦野葉たばこ専売所」(後の日本専売公社秦野支局)が設置され、政府の支援を受けて生産体制を確立した。1906年8月1日、湘南鉄道が開業したのも、秦野で生産された葉たばこを東海道線の二宮まで輸送するためであった。秦野の交通は常に発展を続けてきた。1927年4月1日、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)小田原線が開通し、同時に鶴巻駅(現・鶴巻温泉駅)、大根駅(現・東海大学前駅)、大秦野駅(現・秦野駅)、渋沢駅が開設された。今日、われわれが秦野茶区を訪れる際に利用しているのも、まさにこの路線であり、百年近い歴史を有している。これらすべては、煙草産業の発展がもたらしたものだ。秦野では毎年9月に2日間にわたって「秦野たばこ祭」が開催されており、2025年に77回を数えた。興味のある方は是非一度訪れ、茶文化とは異なるたばこ文化に触れてみてはどうだろう。
では、なぜ秦野でお茶が作られるようになったのか。そこにはまず、秦野の地理と気候が関係している。秦野市の中心は、神奈川県唯一の盆地である秦野盆地に位置する。この地は、河川によって運ばれた砂礫層と、箱根火山と富士火山の火山灰層が互層をなして体積しており、場所によってその深さは100mを超える。中国の「茶聖」・陸羽は『茶経』で、茶樹の育つ土壌について「上等のものは爛石(らんせき)に生え、中等のものは礫壌(れきじょう)に生え、下等のものは黄土に生える」と述べている。秦野の土壌は、「爛石」とまでは言えないが、少なくとも「礫壌」に相当し、茶樹の生育に適している。加えて、この独特の土壌のおかげで、秦野産の落花生も格別である。茶を求めて訪れた際には、茶菓子として一袋買い求めてはいかがだろう。
秦野は土壌だけでなく、気候にも恵まれている。太平洋岸気候に属し、海洋気象の影響を受けるため、霜や降雪が比較的少ない。冬はおおむね北西の偏西風が吹き夏は南風が吹くが、いずれも風速は弱く、一年を通じて温暖である。そのため、盆地特有の厳しい気候は見られない。周囲を山々に囲まれた市街地は、夏は涼しく冬の降雪も少ない、山紫水明で居住に適した土地である。中国北部の茶産地である日照や青島の気候に似ているかもしれない。冬は温暖ではないが、これらの条件が、秦野を関東地方の主要な茶産地たらしめているのである。
秦野で茶を購入すると、パッケージにはほぼ例外なく「秦野特産」「丹沢銘茶」と書かれている。「丹沢茶」とは、丹沢山で採れた銘茶の意である。丹沢山は、そのほぼ全域が神奈川県内にあり、「神奈川の屋根」とも称され、山梨県・静岡県との県境にまで広がる。その中心地域は、「丹沢大山国定公園」に指定されており、あの日、私が降り立った蓑毛バス停のすぐ前がその入り口である。丹沢山周辺一帯は「県立丹沢大山自然公園」にも指定されている。
丹沢山地は、東京都心からわずか50kmほどの距離にありながら、多くの原生林が残り、カモシカやツキノワグマなどの大型野生動物が生息し、優れた自然生態系を形成している。丹沢山麓の標高300~400m付近に茶畑が点在し、品種は「やぶきた」が主流である。茶樹は一日中霧に包まれ、芳醇な茶の芽が育つ。
秦野盆地の河川下流域は地下水の湧出量が豊富で、秦野は古来より名水の地として知られ、「秦野盆地湧水群」は日本の「名水百選」にも選ばれている。秦野駅前の観光案内所で秦野の水を一本購入したことがある。気のせいかもしれないが、確かにおいしい水であった。日本の煎茶は蒸して殺青を行うが、製茶の工程に良質な水は欠かせない。丹沢山の上質な茶葉を、秦野の名水で蒸すことで爽やかな味わいが増す。秦野の丹沢銘茶は、名山と霊水が生んだ他に真似のできない逸品なのである。
1950年代初頭、戦後の日本は経済復興と輸出による外貨獲得に乗り出し、各地の茶園で緑茶から紅茶への転換が進んだ。秦野はその先陣を切って技術革新を成し遂げ、神奈川県で初めて紅茶を誕生させた。秦野の紅茶は味わいが濃厚で、発売されるや人気を博した。秦野茶区は、神奈川県で最も早く紅茶で名を上げた。秦野でお茶を求める際には、伝統的な煎茶だけでなく、紅茶もお忘れなく。
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