劉勇 龍在日華人援助協会会長
「自分たちに何ができるかではなく、相手が何を必要としているか」

会員数1300人超、年間120回を超える公益活動を展開する民間団体「龍在日華人援助協会」(以下、龍チャリティー協会)。設立からわずか5年で数々の実績を築き、「片手で愛を受け取り、もう片方の手で愛を届ける」という理念のもと、活動の輪を広げ続けている。その歩みを支えてきたのが、会長の劉勇氏だ。このほど劉氏に、協会設立の経緯や活動への思い、そして今後の展望について話をうかがった。

危機の時こそ人命を守る

もともと困っている人を放っておけない劉勇氏は、新型コロナウイルスの感染拡大に際し、助けを求める在日中国人に手を差し伸べた。新型コロナウイルスは肺を侵し、血中酸素濃度の低下を招くことから、劉氏が中心となってボランティアを募り、有志が資金を出し合って酸素濃縮器20台と酸素ボンベ1000本以上を購入。患者のもとへ無償で届け、27人の重症患者への酸素供給を行った。

さらに、中国駐日大使館・総領事館の協力を得て、重症患者が医療機関に受け入れられるよう奔走したほか、中国国内の呼吸器科専門医とも連携し、オンラインによる医療相談体制を整えた。また、有志の協力を得て24時間対応の電話相談窓口を開設し、不安を抱える在日中国人に情報提供や心のケアを行った。

加えて、劉氏自身も感染者の通院や入院に同行し、病院で無償の医療通訳を務めるなど支援活動を続けた。こうした活動を通じて、延べ2305世帯を支援した。

こうして、数十人のボランティアは熱意を原動力に、日本全国を網羅する酸素供給ネットワーク、治療支援ネットワーク、防護ネットワークを築き上げた。当時は、一部から「無資格医療行為ではないか」と受け止められる可能性もあった。しかし、人命が懸かる非常時にあって、劉氏らは目の前の命を救うことを最優先に行動した。

その後、日本政府が経済活動の再開を宣言し、人々がコロナウイルスへの恐怖から解放されると、ボランティアたちもそれぞれの日常へ戻っていった。しかし、一連の活動を通じて、華人コミュニティーにおける彼らの存在はさらに大きなものとなった。高齢者が行方不明になったり、子どもが迷子になったりすると、人々は真っ先に彼らへ助けを求めるようになった。

一方で、「なぜ最初から日本の警察に頼らないのか」と疑問を投げかける人もいれば、「暇を持て余した高齢者が認知症の高齢者を探し回っているだけだ」とボランティアを揶揄する人さえいた。しかし、そうした人々には、家族が行方不明になった当事者の苦しみは理解できないだろう。例えば、子どもと日本を旅行中に人混みではぐれてしまった母親は、子どもと離れ離れになった不安だけでなく、本国で待つ家族にどう説明すればよいのかという重圧にも直面する。ボランティアの付き添いや精神的な支えがなければ、子どもが見つかる前に母親の心が折れてしまっていたかもしれない。

ボランティアは、誤解や批判を受けても、困っている人を見過ごすことはなかった。しかし、善意ある人々の活動が誤解によって損なわれてはならない――。そうした思いから、このボランティアチームを正式な団体として登録すべきだという機運が高まった。

当初、メンバーには正式な組織も名称もなかった。参加者には華僑や華人ビジネスマン、新華僑、老華僑など、さまざまな立場の人々が集まっていたが、誰もが「龍の末裔」であるという思いを共有していた。「龍チーム」という呼び名は、やがて「龍在日華人援助協会」として正式に登記され、現在では多くの人々から親しみを込めて「龍チャリティー協会」と呼ばれている。

命に国境はない

日本全国が2024年の新年を迎えたその日、能登半島でマグニチュード7.6の地震が発生した。東日本大震災の記憶がなお鮮明に残る中、津波への警戒は一気に高まった。石川テレビが中国語で「津波の恐れがあります。避難してください」と呼びかけると、その放送は龍チャリティー協会の会員たちを突き動かした。

「災害の前では、民族も国も人種も関係ない。命の重みは皆同じである」。

龍チャリティー協会は直ちに地元自治体へ無償での救援活動を申し出て、許可を得ると支援物資を車両7台分集め、メンバーを召集して最も被害の大きかった輪島市へ向かった。

そして、物資を届けた後、被災地に取り残されていた中国人留学生4人を救出したことが、ネット上で「物資搬送の帰路に、ついでに救出した」と紹介され、大きな話題となった。しかし実際には、能登半島特有の地形のため救援活動は極めて困難で、ボランティアたちは土石流の危険を冒しながら何度も迂回を重ね、ようやく4人を救出した。「ついで」という言葉から受ける印象とはほど遠い、命懸けの救助活動だった。

地震発生から10日余りが過ぎると、被災地には食料が届き始め、避難所の環境も徐々に整えられていた。しかし、東京へ戻ってわずか10日後、龍チャリティー協会は再び輪島へ向かう。

「私たちに何ができるかではなく、被災地が今、何を最も必要としているのか」。これが龍チャリティー協会の救援活動の原点である。

救援物資は届いていたものの、電気やガスはなお復旧していなかった。十数日もの間、冷たい食事を口にしてきた被災者を思い、協会は業務用大型冷凍庫5台を積み込んで輪島へ向かった。そして仮設住宅を回りながら、4日間で計3800食の温かい食事を提供した。

被災者に振る舞ったのは、豚骨スープと水餃子だった。「本当においしい。やっぱり中国の皆さんは温かい」。そう口々に感謝を伝え、涙を浮かべる人も少なくなかった。

ある高齢の男性は、餃子をひと口食べると涙を流し、「少し待っていてください」と席を立った。戻ってきた男性は、ネギ1本とニンニク2片を差し出し、「これが家にある最後のものです。どうか受け取ってください。私の気持ちです」と語った。このネギ1本とニンニク2片は、龍チャリティー協会にとって、今も何より大切な宝物となっている。

さらに感動的だったのは、人目につかないところでの行動だった。会員たちは、限られた支援物資を無駄にしないよう、数日間はウェットティッシュで顔を拭くだけで過ごした。また、被災者に余計な負担をかけないよう、炊き出しや配食が終わるたびに現場を丁寧に清掃してから立ち去った。

この能登半島地震での救援活動は、龍チャリティー協会にとって大きな転機となった。以後、協会の支援は在日中国語圏にとどまらず、国籍や民族を超え、支援を必要とするすべての人々へと広がっていった。

龍の末裔が善意をつなぐ

建設会社を経営するある華人が石川県を訪れ、震災で被害を受けた危険家屋の解体作業に携わった。地元の人々は、作業員たちが中国語で話しているのを耳にすると近づき、「地震の後、無料で餃子や温かいスープを提供してくれたのは、中国の皆さんでした」と声をかけた。この経営者が龍チャリティー協会の会員であることを知ると、人々はさらに温かく迎え入れた。この出来事をきっかけに、経営者は公益活動に一層力を注ぐようになり、家族や友人にも協会への参加を呼びかけた。こうした善意の連鎖は、協会の至るところで生まれている。

龍チャリティー協会の支援を受けた人々の中には、自らボランティアとして活動に加わる人も少なくない。善意は支援される側から支援する側へと受け継がれ、協会の活動の輪は着実に広がっている。

現在、協会には30を超える作業グループがあり、それぞれが異なる公益活動を担っている。活動内容に応じて役割を分担し、寄付金もすべて目的別に管理され、支援先へ充てられる。ボランティアたちは情熱と善意を原動力に無償で活動しており、多くの時間を公益活動に費やしながらも、それぞれが本業によって生計を立てている。劉勇氏も現在は協会活動を中心に生活し、生活費は若い頃の投資収益で賄っている。

設立以来、寄付金は運営経費に1銭たりとも充てられたことがなく、資金を巡る問題も一切起きていない。こうした透明性の高い運営は協会の誇りであり、外部から批判や疑念を向けられたときにも、会員が胸を張って活動を続ける支えとなっている。

協会は、多くの華僑・華人の子女向け教育機関と連携し、防災・救援知識を普及するチャリティー講座を継続的に開催している。協会が立ち上げた「新苗プロジェクト」では、子どもたちに身を守る方法を教えるだけでなく、災害時の救援活動や人命救助に必要な知識と技能を伝え、子どもや保護者への心理的ケアにも取り組んでいる。これらの講座は、学齢期の子どもたちへの防災教育に加え、心の成長や親子のふれあいを重視する日本の小中学校の防災教育を補完する役割も果たしている。実際、多くの在日華僑・華人家庭が協会の活動に参加することで親子の信頼関係を深め、家庭内の深刻な問題を未然に防いでいる。

「新苗プロジェクト」のほかにも、協会はさまざまなチャリティー講座を開催し、年齢層に応じた防災知識の普及や応急手当の指導、特殊詐欺防止の啓発にも取り組んでいる。その成果は数字にも表れている。2025年だけでも、自殺未遂の通報17件に対応し、そのうち4人の命を救ったほか、特殊詐欺38件を未然に防ぎ、不審な送金8000万円超を阻止した。

中国国際航空の支援
命を守る活動を支えて

防災啓発活動で協会の会員たちに接すると、その真剣な表情、無駄のない手さばき、規律正しい立ち居振る舞いが強く印象に残る。民間団体でありながら、公益への使命感と生命への畏敬の念を礎に活動を続け、地域社会から厚い信頼を集めている。

公益活動は、一時の熱意だけで続けられるものではない。協会への加入には面接や資格審査に加え、保証人も必要となる。内部には厳格な研修制度や救援活動の規程が整備されており、現在、協会には上級救命士技能認定者70人、応急手当普及員7人、防災士6人が在籍している。こうした実績を積み重ねながらも、劉勇氏は「私たちはまだ専門的な救援チームとは言えない」と謙虚に語り、「今後5年をかけて国際水準の専門救援チームへ成長したい」と将来への構想を明かした。

こうした活動は、多くの人々の共感も呼んだ。能登半島地震での救援活動を知った中国国際航空日韓地区支社長の馮力氏は、救援指揮用テント、救急用担架、救援服、個人用ロープ降下装置、通信機器などの専門装備を協会へ寄贈した。翌年には車載型AED(自動体外式除細動器)も寄贈している。運営経費を持たず、いかなる基金にも依存しない龍チャリティー協会にとって、この支援は、まさに雪中に炭を送るような貴重な支えとなった。

日本では20年以上前からAEDの普及が進められ、これまでに8000人以上が迅速な処置によって命を取り留めている。しかし、心停止では1分経過するごとに生存率が約10%低下するとされており、AEDをいかに早く現場へ届けられるかが救命の鍵となる。AED搭載車が1台増えることは、それだけ多くの命を救う可能性を広げることにつながる。

劉勇氏は、幼少期に免疫系の疾患で生死の境をさまよった経験を率直に語る。その体験があるからこそ、命の重みと時間の尊さを誰よりも深く理解している。高速道路や山間部、さらには災害現場まで、AED搭載車は命を救う最後の砦となる。中国国際航空日韓地区支社の全面的な支援を受け、車載AED救急プロジェクトは着実に前進している。AED搭載車は当初の20台から50台へと増え、「いつでも対応し、必要な場所へ駆けつける」移動型救急ネットワークも着実に広がり続けている。

 

取材後記

本稿の締め切り間際、うれしい知らせが相次いで届いた。中国国際航空日韓地区支社が龍チャリティー協会へ寄贈した緊急対応車両が到着したのである。指揮センター機能を備えたこの大型車両には、個人・団体用装備をはじめ、無線通信機器、発電機、全地形対応タイヤ、電動ウインチなどが搭載されている。今後、この車両は龍チャリティー協会とともに、各地の災害救援の最前線で活躍することになるだろう。

また、中国国内の水害被災地を支援するため、協会がチャリティーオークションの収益金113万5000円で購入した発電機8台も、すべて現地へ届けられた。

人々の切実なニーズに応え、人々がまだ気づいていない課題にも先回りして取り組む――。龍チャリティー協会は、その姿勢を一貫して貫いてきた。行政や既存の制度だけでは十分に手が届かない「セーフティネットの隙間」を埋める存在として、龍チャリティー協会の挑戦は、今も静かに続いている。