中国銘茶探訪(15)
雲南沱茶

2025年8月、拙著『吃茶趣:中国名茶録』の発行部数が5万冊を突破した。茶に関する小さな本がここまで売れることは、出版業界が低迷する今日において、容易ならざることである。そこで私は、応援してくださった先生方や友人への御礼として、2017年物の沱茶の熟成茶と生茶を1種ずつ選び、5個入りセットの「『吃茶趣:中国名茶録』記念茶」を用意した。この2種の沱茶は、加圧成形する際、3年以上寝かせた上質な茶を原料として用いている。いまでは十数年物になっているであろう。お茶好きが美味しいお茶を保存するための独自の保存法だ。

 

記念茶の完成に当たり、沱茶の過去と現在について少し語ってみたい。沱茶は雲南・緊圧茶の一種であるが、茶磚や茶餅に比べて、その造形はかなりユニークである。半球状で、表面は盛り上がり、裏には凹みがある。これを碗形と言う人もいれば、蒜臼(ひきうす)のようだと言う人もいる。私個人は、北京名物の「棒子面窩頭(トウモロコシの粉でつくった蒸しパン)」のようだと感じている。1980~90年代の茶工場のチラシには「燕の巣に似ている」と書かれていた。燕の巣と言えば、高級滋養食材である。宣伝に「燕の巣」を使えば、消費者は高級で体に良いお茶だと想像するだろう。それを「茶碗」「蒜臼」「窩頭」に例えたなら、価値のないものとして扱われ、値は上がらないだろう。言葉とはまさに芸術である。言い方ひとつで一生損をする人もいる。良いものが悪く言われ、素晴らしいものが凡庸に表現されるのは困ったものだ。

さて、話を沱茶に戻そう。この茶を手に取ると、「茶師はなぜ底に凹みを付けたのですか?」と尋ねたくなる。古来、雲南の茶区ではプーアル茶の団茶が多く生産されてきた。清代の官僚・阮福の『普洱茶記』には「大きく丸いものを緊団茶、小さく丸いものを女児茶と呼ぶ」と記されている。団茶とはその名の通り、球状に丸めた茶のことである。形状は確かにまんまるで可愛らしいのだが、中心部が乾きにくいという難点があり、長く保存しているとカビたり腐ったりする恐れがあった。そこで茶師は、乾燥を助けるために底に凹みを作るようになり、これが長い年月を経て、沱茶独特の形状として定着したのである。考えてみれば、これは「窩頭」と同じ理屈である。トウモロコシの粉は火が通りにくいため、饅頭のような形にはせず、蒸すときに底に穴を開ける。飲食には相通じるものがある。しかし、沱茶の形状を説明する際には、「燕の巣」に例えるべきであって、「窩頭」に例えるべきではないかもしれない。

実際、沱茶のランクは高い。私の手元にある1956年に中華人民共和国農産品購買部・茶葉購買局が編纂した『緊圧茶類試行技術規程』には、康磚、茯磚、黒磚、花卷、六堡などの緊圧茶の毛茶(半製品の茶)の等級と配合比が明確に規定されている。沱茶は、春尖茶10%、春中茶60%、古茶30%の割合で、同じ雲南の定番の円茶は、春中茶30%、春尾茶20%、古茶30%、谷花茶20%である。国内向け円茶は、春中茶15%、春尾茶15%、谷花茶の古茶65%、底茶5%で、緊茶は、春尾茶7%、古茶31%、谷花茶20%、底茶40%、紅脚茶2%である。これらの数字をよく見ると、まず雲南・緊圧茶の中で、新茶や小さな若葉を用いた「春尖茶」が含まれているのは沱茶だけである。さらには、品質の高い「春中茶」が60%も用いられている。定番の円茶に含まれる「春中茶」は30%、国内向け円茶には20%弱、緊茶にはまったく含まれていない。『規程』には茎の含有率も明記されている。円茶は4~6%、緊茶は5~12%、茯磚茶は20%、沱茶はわずか0.5%。その差は歴然である。

また、1958年に雲南省対外貿易局が編纂した『雲南輸出商品』には、沱茶についてこう記されている。

「沱茶は緊圧茶の一種である。碗形で、葉は細く柔らかで、表面に多くの白毫を付ける。香りは清純。芳醇で後味は甘く、繰り返し淹れても味わいが持続する」。

同書の円茶・緊茶の項には、「葉は細く柔らかい」「表面に多くの白毫を付ける」といった表現は見当たらない。等級で言えば、沱茶は「緊圧茶の“燕の巣”」と呼ぶにふさわしい。

ただ、この独特の形状から、「小さな“塊”だから“坨茶”だろう」と思い込み、「坨茶」と書き間違える人も少なくない。だが実際のところ、沱茶の命名には様々な由来がある。清・光緒26年(1900年)、雲南・景谷県の李文相が製茶工房を建設し、雲南の良質の晒青毛茶を原料に、蒸して型押しした茶を製造・販売した。生産地が「景谷」であったため「谷茶」と呼んだ。この茶は発売と同時に、その独特の造形と口当たりの良さからすぐに人気は広まった。売れるようになると模倣品が出るのは世の常である。谷茶の発売からわずか2年後の光緒28年(1902年)には、下関の茶商である「茂恒」や「永昌祥」が模倣して生産を始めたが、その品質は谷茶を凌ぐものであった。

下関は雲南省の旧地名である。1983年に下関市と大理県が合併して大理市となり、現在は大理白族自治州の州都となっている。当時、大理の茶商たちは、碗形の緊圧茶を昆明、昭通を経て、四川省・宜賓へと販売していた。香りが高く口当たりがよく価格も手頃な緊圧茶は、すぐに沱江両岸で愛飲されるようになった。当時の茶商は「沱江の水、下関の茶、香りは高く味わいは芳醇、品質よし」と宣伝し、沱江一帯で評判となったため「沱茶」と呼ばれるようになった。以後、沱茶は四川全域で人気を博した。『金粉世家』の著者である張恨水は1930~40年代に長く重慶に住み、沱茶をこよなく愛した。『茶肆臥飲之趣』には次のような記述がある。「数日肉を食さず、偶然ご馳走にありついたが食べ過ぎてしまい、小さな茶館へ駆け込んで、沱茶を大声で注文する」――ここから二つのことが読み取れる。第一に、当時、沱茶は重慶に広く普及し、小さな茶館でも提供されていたこと。第二に、沱茶は濃厚で、胃もたれを解消するお茶として重宝されていたことだ。四川といえば中国有数の茶の産地である。その地に沱茶がしっかりと根付き、茶館の一角を占めているのは、今日、中国人選手の姚明がNBAで主力を張るようなものだ。それだけで十分に偉大なことである。