中国銘茶探訪(12)
浙江黒茶

中国にはさまざまな種類の黒茶があり、原料や製法の違いにより、黒磚茶、花磚茶、茯磚茶、米磚茶、青磚茶、康磚茶、金尖、天尖、毛尖、芽細などに分類される。生産量で見ると、湖南省が最も多く、全国の黒茶総生産量のおよそ半分を占めている。そのほかにも、四川、湖北、広西、貴州、浙江などで、中国・西北部向けの黒茶が多く生産されている。原料や製法が地域によって異なるため、スタイルの異なる流派が形成されていった。

なかでも、浙江黒茶はあまり知られていない。それも致し方ない。浙江省は緑茶の産地として名高く、西湖龍井、大仏龍井、安吉白茶などが浙江の銘茶として知られている。浙江黒茶は独特の風味を持ち、西北部の茶愛好家の間で高い評価を得ており、一時は湖南黒茶をしのぐほどの人気であった。しかし、国内市場での宣伝が十分でなかったため、知名度は低い。「良い酒は奥まった路地で売っていても、良い香りがするので宣伝しなくても客が来る」というが、それが茶であればなおさらであろう。ここでは、筆者が長年にわたり収集した茶のサンプルや資料をもとに、浙江黒茶の過去と現在を整理してみたい。

浙派黒茶――陳年茯磚

浙江黒茶の歴史

新中国成立以前、浙江省で黒茶は生産されていなかった。1950年から1951年にかけて、杭州磚茶工場が先駆けて黒磚茶2000余箱を生産し、中国茶業公司華東区公司を通じて旧ソ連に輸出した。これが浙江黒茶の始まりである。1952年、紹興磚茶工場が、中国茶業公司浙江省公司が開発した磚茶圧制機で青磚茶を生産した。当時、紹興では黒茶の生産が盛んで、1日の生産量は7000枚を超えていた。

1960年から1967年にかけて、紹興、金華、杭州、湖州などで小型の磚茶が生産され、小緑末磚茶は209.67トン、小紅末磚茶は148.38トンの生産量を記録している。浙江黒茶は、当時、辺境地向けに販売される緊圧茶が逼迫していたため、供給不足を緩和するために生産された。1972年には安吉県国営林場が茯磚茶の試作に成功した。現在、安吉白茶の産地として知られる安吉である。安吉茶工場は浙江省で最初に茯磚茶を生産した工場であり、そのうち93.52トンが青海省に出荷された。金花を発生させる必要のある茯磚茶は製造難度が高く、独自に製造できたことは浙江の黒茶製造技術が新たな段階に達したことを物語っている。

改革開放後、商才に富む浙江人は、西北部における黒茶の需要を察知した。1980年代中期から後期にかけて、浙江黒茶は次第に人気を博すようになり、海寧、奉化、紹興、武義などに製茶工場が建設され、黒茶、茯磚茶、青磚茶が大量に生産されるようになった。だが、浙江黒茶の発展への道のりは決して順風満帆ではなかった。1980年代、浙江省には辺境地向けの黒茶を生産する郷鎮企業が多く存在したが、最後まで生き残り、規模を拡大してブランドを確立したのは、浙江省武義県の駱駝九龍茶工場ただ一つであった。現在、浙江黒茶のトップブランドである駱駝九龍を率いる祝雅松・祝斌凱父子と筆者は交友が深い。ここでは彼らの奮闘を振り返りつつ、浙江黒茶の歩みを紹介したい。

浙江黒茶の特別製品――陳年米香黒茶

浙江黒茶の代表的製品――天官茯磚

浙江黒茶の苦難の道のり

祝雅松の故郷の浙江省金華市武義県白姆郷には茶園が多く、村人は代々茶で生計をたててきた。1985年、白姆郷政府の幹部が新疆からの復員兵の話を聞き、西北部の人びとは日常的に茶を飲み、黒茶の需要が高いことを知った。武義県は茶の産地として知られ、緑茶や紅茶の生産に熟達していた。そこに黒茶が加われば、さらなる増収が期待できると考えた郷政府は、集団経済を活性化するために磚茶工場を設立することにした。

当時、祝雅松はプラスチック工場を経営し、順調に事業を拡大していた。郷長は彼の能力を見込んで「三顧の礼」を尽くし、公営磚茶工場の技術管理者として迎えた。とはいえ、実際には手探りの状態であった。当時、工場には湖南黒茶の大本営である益陽市から招いた熟練技師が3人いた。祝雅松は彼らから熱心に学び、わずか3か月で磚茶の圧制技術の基礎を習得した。勢いに乗った武義の磚茶工場は一挙に20トン以上の磚茶を生産したが、当時の黒茶市場を理解していなかったため、事業はすぐに行き詰まった。

ところが、西北部に何度か足を運ぶうちに、黒茶の強い需要を肌で感じた彼等は、改革開放の進展とともに黒茶の市場は大きく開放されていることを察し、1990年、白姆郷工業弁公室の支援の下、再び武義県に磚茶工場を立ち上げ、浙江黒茶の生産を再開した。彼は販路を開拓しようと一軒一軒回ったが、門前払いもしばしばであった。父子が語る苦難の歴史は、浙江黒茶が名声を得るまでの険しい道のりを物語っていた。

浙江黒茶の新進茶人・祝斌凱氏と記念撮影

浙江黒茶の銘品

浙江黒茶が西北部の市場に根付くことができたのは、粘り強いプロモーション活動だけでなく、品質の高さによるところが大きい。それまで、黒茶は粗雑で低級なものという固定観念があった。それは困難な時代の産物である。生活水準が上がるにつれ、人びとは従来の黒茶では満足できなくなった。そこで祝雅松ら浙江の茶芸師たちは、現代人に合った黒茶の研究開発に着手した。江南人のもつ繊細さと独創性を生かし、本来緑茶や紅茶に加工される上級の生茶を黒茶に用いたのである。浙江黒茶の名産地である武義県は、もともと緑茶の名産地であり、中国で初めて有機茶を手掛けたことでも知られる。武義県の生茶でつくられた黒茶は折り紙付きであった。生茶の品質の向上に伴い、浙江黒茶の滑らかな口当たりと芳醇な香りは一層増した。1991年、国家品質監督検査検疫総局が磚茶製品の抜き取り検査を行ったところ、全国50社の同業者の合格率はわずか38%であったが、武義磚茶工場は定点企業(特定の地域や分野への支援を目的として指定される企業)以外で唯一合格を勝ち取った。

1990年代、浙江黒茶の青磚茶、茯磚茶、黒磚茶、緑磚茶、花磚茶は幅広い消費者層のニーズを満たし、優れた品質、低価格、きめ細かなサービスによって信頼を勝ち取り、「河西回廊」で最も有名な磚茶となった。1995年から1996年にかけて、祝雅松が武義で生産した「峡霧」ブランドの黒茶は度々模造された。それは浙江黒茶の成功を証明するものであった。

2002年、国が緊圧茶の定点企業の調整を行った際、品質が高く消費者の評判が高いことから、浙江の武義・新昌の両企業の黒茶は、国家民族事務委員会、品質監督検査検疫総局など7部門の厳格な審査を経て、全国25社の緊圧茶定点生産企業のひとつに認定された。現在、浙江省における磚茶の年間生産量は2万トンに達し、中国有数の黒茶の生産地となった。

現在、駱駝九龍を率いる祝斌凱は90年代生まれの浙江が生んだ茶人である。氏は長期的ビジョンをもち、日本市場への参入も視野に入れる。多くの日本の茶愛好家が浙江黒茶を知り、好きになってもらいたいと語ってくれた。