太田雄貴 国際フェンシング連盟理事
戦略と絆が紡ぐフェンシングの未来

太田雄貴氏は、日本フェンシング界を代表するアスリートであり、改革者である。オリンピックに4度出場し、2008年北京大会では日本初の銀メダルを獲得。選手引退後は、日本フェンシング協会の会長として、競技のブランド価値向上や組織改革に尽力し、フェンシングの普及と発展に大きく貢献してきた。現在は国際フェンシング連盟の理事として、世界規模での競技発展に力を注いでいる。このたび、本誌編集部に太田氏をお招きし、フェンシングの魅力、中国フェンシング界の評価、そしてブランド価値向上への取り組みについてお話を伺った。

戦略と奥深さが
フェンシングの魅力

―― 太田さんはオリンピックに4度出場し、2つの銀メダルを獲得されています。日本フェンシング界の先駆者ともいえる存在ですが、フェンシングを始めたきっかけと、その魅力について教えてください。

太田 私がフェンシングを始めたのは9歳、小学校3年生のときです。フェンシング経験のある父は、「子どもにフェンシングを始めさせたい」という思いを持っていました。私は三人兄弟の末っ子で、兄も姉もすぐに辞めてしまったため、父にとって最後の希望となりました。そのため父は「フェンシングを始めたらスーパーファミコンを買ってあげる」という条件を提示し、私はそれに惹かれてフェンシングを始めました。

正直に言えば、フェンシングの本当の魅力に気づいたのは、競技を始めて15年ほど経ってからでした。それまでは「勝てるから楽しい」という感覚が大きかったと思います。競技人口が少ないこともあり、勝つ機会が増え、中学生の頃には年齢別の世界大会に出場できるようになりました。異なる国や文化に触れた経験は、大きな財産となりました。

フェンシングの奥深さを理解したのは、それより後のことです。フェンシングには身体能力といった先天的な要素と後天的な努力が関わりますが、特に後天的な努力が結果につながりやすいスポーツだと感じています。身体能力に恵まれた選手が有利な場面もありますが、技術や戦略で十分に補うことが可能だからです。

フェンシングは「チェス」や「将棋」に似たマインドスポーツです。相手の得意な戦術を避け、弱点を突く戦略性が求められます。この戦略的な駆け引きに加え、大会に向けた事前準備も含め、フェンシングには独特の魅力があります。単なる「駆け引き」を超えた奥深さこそが、フェンシング最大の特徴だと思っています。

 

持続可能なエコシステムの
構築が日中の共通課題

―― 日本のフェンシングチームは2024年のパリ五輪で金・銀・銅合わせて5つのメダルを獲得し、国別ランキングで1位に輝きました。一方、中国のフェンシング界についてはどのように評価されていますか。また、中日両国のスポーツ文化の違いや共通点についてお聞かせください。

太田 日本と中国のフェンシングの関係を振り返ると、最初にアジアをリードしていたのは日本でした。フェンシングが日本に伝わったのは中国より早く、1960年代から70年代にかけて日本はアジアのトップに立っていました。しかし、その後の中国の経済発展とともに競技力が急速に向上し、圧倒的な強さを誇るようになりました。

私が2000年代初頭に国際大会で戦い始めた頃には、中国の実力は日本をはるかに上回っていました。日本は中国と合同合宿を行っても、一軍選手と対戦する機会がほとんどないほど実力差がありました。それでも、中国の選手たちは私にとって憧れの存在でした。

中国のフェンシング界が果たした大きな役割の一つは、2008年の北京五輪で導入されたビデオ判定(VAR)です。それ以前、審判の判定が曖昧なケースが多く、シドニー五輪やアテネ五輪で中国が団体戦の金メダルを逃す要因となっていました。この経験がきっかけとなり、公平性が確立され、アジア諸国の競技力向上にもつながりました。その結果、日本も2010年代には再び競技力を取り戻すことができました。

一方、中国は現在、北京五輪後の短期的な強化期を終え、苦境に立たされています。公的資金の大量投入による競技力向上は、資金が止まると成果が急激に低下するという課題を抱えています。そうした中、中国でのフェンシング人口はむしろ爆増している一方で、オリンピックを目指すような競技アスリートは減っています。

日本も同様の課題に直面しています。部活動の地域移行が進む中で、教員の負担軽減や専門的な指導体制の整備が進められている一方、地域全体でフェンシング環境を支える仕組みが求められています。短期的な強化に頼らず、持続可能なエコシステムを構築することが、日中両国共通の重要な課題だと考えています。

 

組織体制を強化し
ブランド価値を高める

―― 日本フェンシング協会の会長時代、特にどのような取り組みを行い、どのような貢献ができたとお考えですか。

太田 私が会長時代に最も力を入れたのは、フェンシングのブランド価値を高めることです。多くの人にフェンシングが注目され、支援したいと思ってもらえる環境を整えることが、競技の発展には不可欠だと考えていました。

具体的には、まず大会運営の改革に取り組みました。これまで観客が少なかった大会にどう人を呼び込むかを模索し、地域自治体と連携してフェンシングを身近に感じてもらえる施策を実施しました。また、組織のガバナンス強化にも力を入れ、外部理事の起用や各分野の専門家を招くことで、協会全体の体制を強化しました。

その中でも、日本中華總商会の䔥敬如会長には多大なご支援をいただきました。判断に迷う場面では的確な助言をいただき、そのお力添えが大きな推進力となりました。このような支えがあったからこそ、協会改革を進めることができたと強く感じています。

 

若い世代に伝えたい
スポーツが紡ぐ絆の力

―― ネルソン・マンデラ氏は「スポーツには世界を変える力がある」と述べています。日本フェンシング界の発展に尽力されてきた太田さんにとって、日中の若い世代にスポーツの可能性をどのように伝えたいですか。

太田 日中間のスポーツ交流は非常に長期的なつながりを生み出します。私自身、中高時代から中国の選手たちと関わる中で、彼らに強い憧れを抱きました。たとえば、現在国際フェンシング連盟の理事を務める王海濱(ワン・ハイビン)氏は、私が選手時代に憧れた人物の一人です。選手としての関係は、その後私が日本フェンシング協会の会長、彼が中国の協会主席を務めた時期を経て、現在も国際フェンシング連盟の理事同士として続いています。このように、スポーツは勝敗を超えた交流や絆を育む力を持っています。

さらに、スポーツは地域や国際社会の結びつきを深めるだけでなく、ビジネスや文化交流の架け橋としても重要な役割を果たすと思います。

私は、こうしたスポーツの可能性を日中の若い世代に伝え、未来を担う彼らがスポーツを通じて新たなつながりや挑戦を見つけていけるよう支援していきたいと考えています。

身近な競技としての
環境整備を推進

―― フェンシングのブランド価値を高めるために、今後どのような取り組みが必要だとお考えですか。

太田 現在、私は国際フェンシング連盟の理事として、主に国際的な取り組みに専念しています。例えば、サッカーのようなメジャースポーツでは、国際大会の開催地で日本代表選手が現地の日本人学校を訪問し、子どもたちと交流する機会を設けています。こうした活動は、子どもたちにとって忘れられない思い出となり、試合会場へ足を運ぶきっかけにもつながります。

私が日本フェンシング協会の会長を務めていた頃、パリの日本人学校から依頼を受け、現地の子どもたちと触れ合う機会を作ったことがあります。その後、彼らが試合を応援に来てくれたことで、大会の集客が増え、地域との良い循環が生まれました。このような活動を仕組みとして定着させることが、フェンシングのブランド価値を高める上で重要だと思います。

現在、国際大会では試合参加が主な目的になりがちですが、それだけでなく、開催地での地域交流や密着型の活動を取り入れることで、競技の価値をさらに広げることが必要です。また、日本で国際大会を開催する際には、在日外国人コミュニティとの連携が鍵になると考えています。たとえば、大使館を通じて、地域の子どもたちを大会に招待する取り組みも有効です。

フェンシングの魅力を広めるためには、こうした地道な活動を積み重ね、誰にとっても身近な競技として認識される環境を整えることが大切だと考えています。