「未来志向」を求めて(8)
イスラエル/パレスチナから見る日本/中国

イスラエルによるガザでの虐殺はなぜ止められないのか。日本でも中国でも、心を痛めている人々は少なくない。それでも、どこか遠くの出来事のようにも思える。自分たちにできることはないのかと無力感さえ覚える。私自身もそういう側面があった。

考え直すきっかけが幾つかあった。一つは、中国からの引揚体験者の講演会でのこと。質問に立った年配の女性も引揚者だった。彼女は、ガザの子どもたちが戦火に追われ、瓦礫の下で飢餓にも苦しんでいる映像を観て、引き揚げ当時の自分の姿だと語った。引揚時の苦難は「満州」侵略の帰結ではなかったか。

写真1:ネフセタイさんの平和論著作

もう一つは、イスラエル人のダニー・ネフセタイの著作に接した時のこと。今年7月、大阪での「七七集会」で彼と同席した。空軍兵士を退役後、日本で40年以上暮らし、今は各地で精力的に平和を語る。彼の3冊の書籍には驚いた(写真1)。イスラエルのパレスチナ侵略と日本の中国侵略にはあまりにも共通項が多い。戦争中の日本だけなく、戦後そして現在の日本とも驚くほど重なりがある。

たとえば、彼がフェイスブックで「ガザ攻撃はやりすぎでしょう」と書くと、「あなたはハマスの支援者だ」とすぐに反発されるという。筆者もこの連載で侵略戦争の反省が必要と書くだけで、「朝鮮人か!」「中共のスパイだ」と言われる。

中東と東アジアとでは、歴史的文脈や社会文化的土壌は大きく異なる。それでも共通点があるのは何を物語るのか。イスラエル/パレスチナという鏡に、日本/中国を照らし出すことで、未来志向について考えてみたい。

* * *

日本ではパレスチナ問題は宗教紛争だと認識されがちである。しかし、イスラエルのユダヤ人のうち、熱心なユダヤ教徒は3割程だとネフセタイはいう。ユダヤ教のことをよく知らず、神を信じていない人も多い。「日本における仏教や神道みたいなもの」と指摘する。

ところが、イスラエルの軍隊にはユダヤ教の指導者がいて、ユダヤ民族の起源を旧約聖書と結び付けて語る。歴史的に迫害され続けてきたという被害者意識が宗教的な選民思想に支えられることで、「強くなること」「少々の犠牲」を正当化する。彼いわく、イスラエル人の多くが近隣アラブ諸国を見下し、「パレスチナ人は人間じゃない」とまで言うユダヤ教の信徒がいる。排他的ナショナリズムの問題だと考えた方が分かりやすい。事実、“イスラエルは対話を望んでいるがパレスチナ人は対話ができない、隣国がスウェーデンやノルウェーなら平和だった”という弁解がよく持ち出されると彼は記す。

日本もかつて「万世一系の天皇」神話に由来する大和民族の優越性を盾に、周辺国への侵略を正当化した。日本の戦死者を英霊として顕彰するのに靖国神社という宗教施設を介在させても、無宗教という宗教意識は揺るがない。その無規定性はナショナリズムと相性がいい。中国や朝鮮半島の人々を差別しながら、排他主義の自覚は薄い。日本の首相は「対話の扉は常にオープンだ」とうそぶきながら、領土問題は存在しないと撥ね付ける。

イスラエルには徴兵制があり、ネフセタイも高校時代に軍隊見学を経験した。ガザ地区を見学したとき、政府高官がイスラエルはブルドーザーで難民キャンプに広い道を作り、「パレスチナ人の生活を楽にした」と説明した。日本でも、かつて植民地化した台湾や朝鮮半島について、その近代化に貢献して良い側面もあったという主張が根強い。自分たちの武力行使や他国支配を「平和的」だと思い込んでいるのも日本と似ている。

歴史の扱われ方にも共通性がある。1948年の第一次中東戦争で70万人以上のパレスチナ難民が発生した。2009年にイスラエルはこの「ナクバ(大破局)」を学校で教えるのを法律で禁じた。ナクバを記念する個人や団体には国の予算を付けないことになった。日本の教科書でも2000年代に入って加害の記述がさらに減少している。平和運動や護憲運動が公的な場で活動する機会を奪われることも増えている。

また、2006年の第二次レバノン戦争を最後に、イスラエルは「戦争」という言葉を使わなくなり、「作戦」と呼ぶようになった。満洲「事変」という概念操作が想起される。

歴史の改竄は現実を歪めていく。近年イスラエルの教育省や外務省が作成した地図では、パレスチナとの「国境線」が記されなくなった。国をあげてパレスチナ人の土地などないという既成事実を作り、子供たちに教える。パレスチナの国家承認を拒み、自治区と呼び続けてきた現実がさらに歪められている。初めてヨルダン側西岸地区に派兵された若い兵士は、「なぜユダヤ人の土地にパレスチナ人が住んでいるんだ」と疑問を持つまでになっている。「パレスチナ人が私達の土地を奪った。パレスチナ人をやっつけよう」と、歴史を逆立ちさせた意識が生まれているとネフセタイは語った(写真2)。

写真2:大阪城狛犬会主催シンポで登壇(左がダニー・ネフセタイさん)

日本政府も、尖閣諸島などの国境紛争の存在それ自体を認めようとしない。中華人民共和国の国家承認を長く拒んだ一方、台湾や香港を「国家」扱いしようと躍起だ。若い世代ほど「台湾有事は日本有事」という政治家の妄言を疑問に思わなくなっている。

社会のあり方にも共通点が多い。

イスラエル国籍のアラブ人は軍隊に入隊しない。学校も職場もたいてい別なので交流の機会がほとんどない。ネフセタイも学校時代にはアラブ人の友人がいなかった。2010年の調査では、半数の大学生が国内のアラブ人にユダヤ人同様の権利は不要、56%が国会での被選挙権は必要ないと答えた。ネフセタイもこの状況が差別であり、人権侵害であるとは感じていなかった。日本人の妻から疑問を突き付けられても、すぐには自覚できなかった。日本ではいまアジア人との共生理念は色褪せ、攻撃へと転じている。地方自治への参政権さえ認めようとしない。

ネフセタイとの集会討論を終えた後、パレスチナで支援活動の経験があるという日本人が声を掛けてきた。彼女は中国を訪れた際、戦時中に受けた被害を口にする中国の市民に困惑したという。筆者は、広島の被爆者が被害を語り継ごうとするのと同じではないかと返したが、さらに困惑した表情だった。イスラエルの行為を侵略・虐殺と認めるようになったネフセタイも、ハマスによる攻撃と同列視するところがある。加害の側にいると、被害側との圧倒的不均衡を認識することが難しい。未来をひらく鍵はそこにあるのではないか。