2024年10月、被団協(ひだんきょう)(日本原水爆被害者団体協議会)に対するノーベル平和賞決定の報道が流れた。被爆者や反核平和活動家の間で喜びの声が拡がった。
上海にいた私は、何人かから「今回のノーベル平和賞についてどう思うか」と聞かれた。彼らは小声で、どことなく言いにくそうだった。中国の人々にも原爆被害の深刻さはよく知られ、戦争を憎み、平和を求める気持ちは共通している。ただ、被爆者もまた中国・東南アジア等への侵略戦争に加わり、支えた側にいたはずで、その関係をどう捉えているのかと聞きたかったのだろう。
原爆被害と侵略戦争との関係性について「自分事(じぶんごと)」として向き合ってきたのが、前回紹介した岐阜の高校教員・今井雅巳さんである。学生たちを前に実物にもの語らせる平和学習を続ける彼は、被爆二世でもある(写真1)。父が広島で被爆しており、かつては今井さん自身も「戦争被害者」だと認識していた。岐阜の被爆者団体の役員も務め、多くの被爆者が今回の受賞に沸き立つのも十分理解できる。被爆者への差別と不遇を自身も経験してきたからだ。
しかし、今井さん個人の問題意識はやや異なる。
被爆者の戦争観はもっぱら「被害者」として語られる。これは、戦後の平和教育が「戦争被害」の学習に終始してきたことと重なる。平和教育といえば、「戦争の悲惨さ」「食糧難」「愛する家族の死」「空襲・原爆」と戦争被害ばかりが教えられてきた。被爆者による核兵器廃絶運動も「再び被爆者をつくるな」「私たちの体験を通して人類の危機を救おう」と語られる。自分たちはなぜ被爆者となったのかという当然の問いが立てられることは少ない。
戦前・戦中の広島は軍事産業が集積する有数の軍事拠点で、大本営(だいほんえい)が置かれたこともある。中国侵略の兵士を乗せた船も広島の宇品(うじな)港から出航した。だからこそ、原爆投下の対象になった。中国や朝鮮半島から見ても、広島は「加害の地」としてまず映る。被爆者がその悲惨さを叫ぶだけでは、アジアの人々には受け止められない。戦争責任が繰り返し否認される戦後の情況を知ればなおさらだ。被爆経験が日本という枠を越えて人類的な課題とされるには、「被害者としての運動」を脱する必要があった。
手がかりは足元にあった。今井さんの父は、海軍の兵士だった。足取りを辿ると、オーストラリアに近いソロモン諸島での戦闘に加わっていた。また、生まれ育った岐阜の各地には、中国や朝鮮半島からの強制連行の跡があり、何より戦場から戻った元兵士たちが暮らしていた。被爆者となった父は南洋諸島では加害者であり、空襲を受けた岐阜市民は中国や朝鮮半島の人々に奴隷労働や虐待を科していた。
苦労や手柄話しか口にしない元兵士が多いなかで、戦場の実相を語る当事者との出会いも転機となった。県内の元兵士や憲兵から体験を聴き取ると、「これが人間のすることか」と恐怖を感じた。彼らは1950年代の新中国で戦犯となり有罪となるも、寛大措置を受けて釈放された人々だった。帰国後に中国帰還者連絡会(中帰連)を結成して平和活動を続けた。高齢のため2002年に中帰連の全国組織が解散し、後継組織「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」が結成されると、今井さんは岐阜支部長に就いた。「撫順の奇蹟」とは、戦犯らが収容先の撫順戦犯管理所で全面的に罪を認め、人間性を取り戻した経過を指す。帰国した戦犯たちは、自身の加害行為を社会にむけて発信することが、戦争を繰り返さないための平和実践だと考えてきた。
後継組織への継承の集いに、撫順戦犯管理所で管理教育を担当した崔仁傑(ツゥェレンジエ)氏が出席していた(写真2)。崔氏は若い世代の組織を支えたいと語る一方、「中国にとって『撫順の奇蹟』は存在しない」と言明した。「人として当然の扱いをすれば、人としての心を取り戻す」という周恩来首相の指示を徹底することで戦犯は生まれ変わったが、それは苦渋に満ちた任務だった。反抗的な日本人戦犯を前に湧き上がる報復感情と闘いながら、まず自身を生まれ変わらせるまで葛藤を重ねた。奇蹟ではなく必然にするための渾身の努力だった。
崔氏の戦後責任観も衝撃を与えた。若い世代には直接の戦争責任はないが、「加害民族の末裔」としての自覚は持ち続けなければならないと訴えた。一般的な日本人の感覚からすると、相当重みのある言葉である。加害にも目を向けようとする後継世代にさえ、戦争被害者を捉えて離さない苦悩の深淵さが見えていないことを突き付けられた。
落差を埋めるべく、中帰連の経験を含めた加害の歴史に多くを学び、市民にも拡げる活動を重ねた。2015年には「戦後70年展・ぎふ」に参加し、日中アヘン戦争、南京大虐殺、韓国併合、強制連行・地下壕の他、中帰連に関する展示を行った。
中帰連会員の多くは、残虐行為に手を染めるきっかけとして「実的刺突(じってきしとつ)」の経験を語ってきた。入隊まもない訓練中の兵士に、生きた中国農民や「捕虜」を的にして銃剣で刺し殺させる。中帰連の会員は所属部隊や侵攻地が違っても多くが経験しており、日本軍として組織的に実施していたことが窺える。「普通の市民」が抵抗感なく残虐行為ができるようになる仕組みを伝える展示は、過去を現在に繋ぐ上で不可欠だった。
今井さんがその内容を母に話したところ、「父ちゃんも昔、『銃剣で人を刺し殺した事がある』と語っていたよ」と戦後70年目に初めて知らされた。陸軍だけでなく海軍でも「実的刺突」が強制され、父は被爆者である前に戦争犯罪者であり、その「息子であることの重さに打ちひしがれ」た。崔仁傑氏のいう「加害民族の末裔」は、加罰的な責任論ではなく歴史的事実だった。
現在の今井さんは、加害兵士の息子であり、被爆二世でもあるという二重性を保持したまま行動し、発信することで、被爆経験の「被害者」性を内破しようとしている。さらに、東電福島第1原発の事故や汚染水の海洋放出を経た今、原発も含めた全ての核廃絶を唱える。原発の容認は未来の生態系に対する潜在的核加害・核加曝者になると考えるからだ。この根源的な問題提起には、中帰連の人々に見られた反省の徹底性が二重写しになって浮かぶ。自身の加害行為を深く反省した彼らは、その反省さえ新たな過ちに繋がらないかと晩年まで自省を深め続けた。崔氏のいう「加害民族の末裔としての自覚」は、今井さんを通じて未来の平和への責任を呼び起こしている。
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