日本の国力を高め、共生を築く「教育の力」
――中国人留学生が共生未来社会の一助となる

1980年代の留学
歴史から「ゴールドラッシュ」へ

留学は古来、国家の発展や国際関係、そして外交人材の育成に直結する仕組みとして機能してきた。日本から唐に渡った空海、中国から日本に渡来して仏教や制度・文化の伝播に貢献した鑑真、唐代にインドで仏教を学んだ玄奘(げんじょう:三蔵法師)――いずれも「海外で学び、知を持ち帰る(あるいは伝える)」往来が社会変革を促してきたことを示す具体例である。近代に目を転じれば、魯迅・周恩来らの日本留学は、中国の改革や思想・学術の発展を加速させた。

第二次世界大戦の反省を経た戦後期には、国境を越える人的交流が増えるほど相互理解は深まり、偏った情報や感情的対立を抑え、冷静な価値観の共有と対話を担う国際人材が世界の架け橋となってきた。さらに近年は、インターネットやAIの普及によりフェイクニュースなどデジタル情報の真偽が見極めにくくなればなるほど、外国語習得と直接の往来にもとづく相互理解力の重要性はいっそう高まっている。

1960年代以降、日本は高度経済成長を経て経済協力開発機構(OECD)に加盟し、「先進国」の列に加わった。東京オリンピック(1964年)や大阪万博(1970年)を通じて国際社会に存在感を示し、国民の間でも国際協力や異文化理解への関心が高まった。政府や企業も海外との交流や途上国支援を積極的に推進し、日本は「成長するアジアのリーダー」としての自覚を強めていく。

一方で、急速な経済発展の代償として深刻な環境汚染が発生した。また、海外旅行が一般化する中で、多くの人々にとって初めての海外体験であったこともあり、興奮からマナーを欠いた振る舞いや「郷に入れば郷に従え」という意識の低さが目立つようになった。さらに、企業による他国の文化やプライドを無視した過度な買収も重なり、現地住民の反発を招いた。

こうして、経済的成功のスピードに社会的成熟が追いつかない側面が次第に露呈していったのである。それでも輸出主導の産業構造によって日本は豊かな富を蓄え、世界経済に影響を与える存在となった。自動車や家電、半導体といった日本製品は世界市場を席巻し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称される時代が訪れる。海外留学者も年々増加し、各地に「日本村」と呼ばれる日本人コミュニティが形成されるなど、国境を越えた人的往来がかつてない規模で拡大した時期である。しかし、やがて不動産バブルが崩壊し、日本経済は長期的な停滞期へと移行した。急成長から成熟、そして調整局面へ――その軌跡は、現在の中国経済のスピードが落ち着きつつある状況、さらに中国企業や富裕層の海外投資、旅行・留学・移住の動きとも多くの点で重なって見える。経済が大きく成長した国が通る一種のサイクルと言って良いだろう。

日本が「成長の終わり」を迎えようとしていたちょうどその頃、中国は「改革開放」という新たな出発点に立っていた。こうして1990年代、日本を目指す中国人留学生たちの新しい往来の時代が始まったのである。

当時の中国から見た日本は、安定した社会環境、高い賃金水準、そして豊富な雇用機会を備えた 「目標の国」として映っていた。為替や物価の差を背景に、短期間の労働でも大きな収入を得られる 「ゴールドラッシュの地」として輝いていたのである。

1990年代は私が初めて父母と日本に来た頃だ。この時代には、学習や研究を目的とする選ばれた国費留学生や、条件が整ったごく限られた私費留学生に加え、経済的理由から留学をしながらいわゆる3K(きつい・汚い・危険)労働をせざるを得ない層が急増した。しかし、当時の留学は誰にでも開かれた扉ではなかった。渡航には数年分の年収に匹敵する資金が必要であり、在留・就労ビザの取得も現在よりはるかに厳しく、長期的な就労や在留が容易に認められていたわけではない。

さらに高いハードルとなったのが、情報の不足と制度上の制約である。インターネットのない時代、正確な情報を得る手段は極めて限られていた。ビザの取得には日本人の保証人が必須であり、その保証人を見付けることが最大の関門だった。加えて、渡航には仲介エージェントの支援が必要で、そのための費用も高額だった。安全面への不安や海外に出る決断の難しさも重なり、結果として日本に来ることができた人々は「たまたま機会と情報を得られた」、さらには決心をつけられる少数にとどまった。彼らはまさに、時代の風をつかんだ「選ばれた挑戦者」だった。当時の為替や物価水準を考えると、「日本で1日働けば中国の1か月分の収入」「1年働けば家が建つ」といった言葉が現実味をもって語られたほどである。

こうした経済的魅力が、「日本へ行けば豊かになれる」という強い動機を生み出し、日本は中国の沿岸都市の人々にとってまさに経済的 「機会の地」として鮮烈に映っていた。そしてその影には、不法入国や斡旋を行う「蛇頭(じゃとう:スネークヘッド)」と呼ばれるブローカーの存在もあった。彼らは経済的に困窮する人々の「日本で働きたい」という切実な願いに付け込み、危険と引き換えに非合法な渡航を仲介したのである。

もっとも、「近年は中国人留学生が激増した」という印象の背景には、「中国人=富裕層」というイメージが強く影響している。しかし、わずか30数年という短期間で、中国が日本経済を超え世界第2位の経済と技術大国となり、世界に影響を及ぼすほどの発展を遂げたという事実は、1990年代の 「貧しい中国」を知る世代の日本人にとって、にわかに実感しがたいものがあるだろう。まさに、天と地ほどの変化――それがこの30年余りの中国の歩みである。

コロナ以降、日本では政府の想定を上回る急激な人口減少が進み、その影響でかつてない規模の外国人受入れが進められている。旅行者、難民、ブルーカラーの労働者、技術者、職人、ホワイトカラー、留学生、高度専門人材、移住者、研究者、投資経営者等――外国人といっても、その国籍・文化・教育水準・経済背景は多様である。しかし、現状の日本社会ではしばしば「外国人」という一括りで語られ、社会としてどのように共生の仕組みを整えるべきか、激しい議論が交わされている。特に近年では、旅行者によるオーバーツーリズムや、日本語や日本文化を十分に学ばないまま移住や日本の福利厚生に「タダ乗り」する層の増加が指摘されている。一部の地域では、文化的な摩擦やマナーや法令遵守の違いが「地域社会の秩序や景観を壊している」と受け止められ、それが日本人の誇りや生活文化が踏みにじられているように感じられることもあり、「文化的衝突」が、地域社会の緊張を高めている。こうした現象の背景には、外国人の受入れを量的に拡大する一方で、質的、文化的な共生基盤の整備が追いついていないという構造的な問題がある。

いま必要なのは、単に「外国人を受け入れる」ことではない。教育を通じて「社会の中で共に生きる力」を育む仕組みを再構築することである。その観点で言えば、長期留学を経て大学進学する外国人は、明確に位置付けが異なる。彼らは来日前から日本語を学び、来日後も少なくとも1年以上、日本語学校で日本語や日本文化を体系的に学習する。その後、専門学校・大学・大学院へ進学し、日本人学生と同じ教室で学び、議論し、生活、価値観を共有する。図らずも日本語学校は「語学学校」という枠にとどまらない。日本社会のルールや文化、生活習慣を教える「基礎教育機関」として、多文化社会を支えるインフラの役割を果たしている。日本語学校の教育の場こそ日本が持続可能な共生社会へ向かうための最前線と言って良い。そして、その中でも――今の中国人留学生は、諸外国の留学生の群からも明らかに異彩を放っている。彼らは経済的な豊かさを背景にしながらも、単なる就労や移住を目的とせず、「学び」を通じて日本社会を理解し、未来のキャリアや価値観を再定義しようとする層として、日本に新たな影響と好機を与えつつある。

2000年代以降の留学生の転換――
「出稼ぎ」から「学歴・キャリア」へ

中国のグローバル化の大きな転機となったのは、2001年の世界貿易機関(WTO)加盟である。中国が日本で「世界の工場」といわれたのもこの頃だ。加盟を境に、日本も含めた世界中の企業は中国への進出がさらに加速し、中国では「外国語ができる=就職力」という図式が明確になった。現地で生産拠点を持つ日系企業が増えるにつれ、日本語が使える人材は重宝され、中には日本へ招かれて働く機会を得る人々も現れた。この時期、日本は多くの中国人にとって初めて具体的な「接点」を持つ国となり、日本のウォークマンや折りたたみ型携帯や日本のゲームやアニメなども中国でヒットし「日本製品は信頼できる」「日本は良い国だ」という肯定的な印象が急速に広がった。経済を通じた相互依存が、文化的距離を縮めた最初の時代でもある。WTO加盟による最大の効果は、産業移転が一気に加速したことである。日本国内で企画された製品を中国で製造し、日本へ再輸出する――いわゆる「逆輸入」が定着した。

象徴的なのが、100円ショップやアパレルの商品である。日本で求められる厳格な品質基準を満たすため、「1000個必要」となれば中国では3000個を生産し、そのうち1000個の優良品のみを出荷、残り2000個は現地で破棄する。それでも日本で生産するよりはるかに安い。この全世界からの膨大な生産ニーズが中国製造業全体の競争力を押し上げた。やがて、北京や上海などの大都市では賃金水準が上昇し、日本と同等の給料を得るケースも珍しくなくなった。

やがて、「稼ぐために日本へ行く」という時代は終わりを迎え、留学の主目的は 「知識・学歴・キャリア形成」へとシフトした。かつての「出稼ぎ留学」は、次第に「未来を設計する留学」へと変貌していったのである。

2008年の北京オリンピックは、その意識転換が明らかになった節目である。開催地を希望した約8年前、つまり2000年前後から「中国は世界へ向かう」「グローバル化の時代が来る」という空気が社会全体に醸成されていた。その8年の蓄積が2008年に爆発的に表出し、学歴社会の評価軸に「海外学位」というステータスが加わる。国内の受験競争は依然厳しいが、「国内の一本道だけが正解ではない」「出口は複数あって良い」という価値観が広まり、海外留学は逃避ではなく新しい道を切り開く手段となった。経済成長に伴い家計に余力ができて、意識改革と経済条件の成熟が重なり、海外留学は中国社会で現実的かつ魅力的な選択肢になっていく。

留学先としての第一志望は、一貫してアメリカである。仮に日本への中国人留学生が年2万人なら、アメリカには約40万人規模が向かう。グローバルエリート層にとって、第一志望がアメリカである現実は動かない。それでも日本が選ばれる理由はある。学費、生活費の相対的な低さ、距離や時差、親族や知人の在住など生活に近い動機だ。しかし近年、この構図に明確な変化が見られる。とりわけ共通しているのは、留学を選択できる経済的余裕を持つ家庭が多いという点だが、留学を志す学生や家庭の背景は、かつてに比べて格段に多様化している。もはや「このような人が日本に留学する」と一言で定義することは難しい。日本との繋がりを持つ家庭や、東京大学、早稲田大学等難関校を目指す学歴志向の留学生は依然として存在する。

一方で、中国国内で大学進学が叶わなかった層が日本の大学を「代替ルート」として選ぶケースも増えている。さらに、アメリカやイギリスを目指す学生が日本留学へ切り替えたり、アニメや漫画、デザイン、スポーツ、ファッション、音楽等、日本の文化・産業分野への関心から留学を決めたりする若者も多い。中には、世界的大企業への就職を目指す学生、あるいはアイドルやコスプレイヤーを志望する等、個人の夢や趣味を動機とする例も見られる。一方の日本側でも、少子化による地方大学の定員割れが深刻化しており、外国人学生の受入れに積極的な姿勢を強めている。

こうして、「行きたい人」と「受け入れたい側」のニーズが一致した結果、留学はかつてのような「エリートの特権」から、「嗜好的な選択肢」へと性格を変えつつある。

卒業後の進路も、もはや日本企業への就職に限定されない。中国に帰国し就職する者、家族の事業を継ぐ者、日本国内の外資系企業に進む者、さらにはアメリカ、シンガポール、香港等、より広い国際舞台へと向かう者も多い。彼らにとって、留学とは「日本で働くための手段」ではなく、「自らの可能性を国境を越えて試すためのステップ」になっている。若い世代の価値観も、日中間で急速に近づいている。仕事を「人生の中心」とは捉えず、「合わなければ離れる」という発想が一般化している。無理な残業を避け、管理職への昇進を必ずしも目指さない─―そうした姿勢は、もはや日本人だけが持つ特殊なものではない。就職は目的ではなく手段であり、人生の一部として柔軟に位置付ける傾向が強まっている。ワークライフバランスや自己実現を重視する層が増え、彼らは「組織への忠誠」から「個人としての幸福」へと重心を移している。

留学生を取り巻く
教育機関の変化

直近15年を振り返ると、尖閣諸島(中国名:釣魚島)をめぐる問題で一時的に対日感情が悪化したものの、その後は落ち着きを取り戻した。中米関係が改善に向かう中で、2014年オバマ大統領の中国訪問時には10年有効の旅行ビザが導入され、これに続いて日本も旅行ビザの緩和に踏み切った。その結果、2015年から訪日ブームが到来し、いわゆる「爆買い」現象が社会現象となった。初めて訪日する中国人旅行者が街の至るところで見られ、当時は「欢迎(歓迎)」「摫綒节茡鵂,鞧节茡鵂(国慶節おめでとう、春節おめでとう)」の文字がデパートのウィンドウを飾るなど、現在のオーバーツーリズムが想像できないほどの歓迎ムードに包まれていた。爆買いは一時的とはいえ、長く停滞していた日本経済に活気を与えた。

しかし2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により、日本は事実上の鎖国状態に入り、外国人の入国はほぼ停止された。それと同時に、日本人の対中感情は大きく変化した。感染源をめぐる国際的な報道や外交的緊張、マスク・ワクチンを巡る混乱などが重なり、かつて「爆買い」や観光を通じて築かれた親近感は次第に薄れ、警戒や距離感が強まっていった。人々の記憶の中で、「中国=経済パートナー」から「リスクの発信源」へとイメージが変化したこの時期は、日中関係における心理的な転換点であったといえる。

同時に、日本の少子化は予想をはるかに上回る速度で進行し、統計としてその現実がリアルになったことで、「このままでの人口構造では社会保障と産業を維持できない」という危機感が急速に広がった。特に問題となったのは、急激な人口減少と長寿社会という「医療先進国特有の構造」が重なった点である。支える若年層が急減し、社会保障制度の持続が危ぶまれる状況に直面した。この危機を契機として、日本政府は「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」(2022年)を策定し、「外国人は一時的な滞在者ではなく、日本社会の構成員として共に生きる存在」と位置付ける方向へ舵を切った。これと並行して、経営・管理ビザや特定活動ビザの柔軟化、日本語教育機関認定法(2023年)、日本語教師の国家資格化(2024年)等、受入れ制度の大幅な見直しが相次いだ。もはや外国人受入れは単なる経済政策ではなく、人口減少と社会の持続性を左右する国家の重要な基幹政策へと転換している。

留学生を取り巻く教育機関の姿も、大きく変わった。例えば、私が経営する当学園は、日本語学校を運営しながらも、その中心に大学受験を目指す予備校教育を据えている。同学園は、日本で初めて「日本語学校で日本人の先生が日本語力を伸ばし、予備校では母語で学業点数を伸ばす」という独自の二段階教育理論(ダブルスクール)を確立し、これまでに累計5万人以上の留学生を日本の名だたる難関大学へ送り出してきた。

日本語が全くできなかった学生をも、体系的な教育プログラムによって東大・京大・一橋・早稲田・慶應といったトップ校の合格者に育て上げてきた実績は、国内外の教育業界で高く評価され、いまでは多くの日本語学校の進学クラスのモデルケース構造とされている。この仕組みが生まれた背景には、日本の制度的欠陥がある。日本には、欧米のような「College ESL」「Bridge Program」「Pathway Program」といった大学提携型の語学教育機関(別科)が普及しなかった。欧米では大学が語学に不安のある学生に対して条件付き合格(Conditional Offer)を出し、一定期間内にTOEFLやIELTSなどで所定スコアに達すれば、大学の正規課程へと進学できる。つまり、留学前の段階で大学進学ルートが制度として保証され、語学教育はそのための橋渡し機能として明確に位置付けられている。

対して日本では、まず日本語学校に入学し、その後に 各自が受験を経て大学を目指すという構造だ。そのため、来日しても大学進学が保証されるわけではなく、場合によってはどの大学にも合格できず、日本語学校のみを修了して帰国するケースも少なくない。この語学教育と高等教育の非連続こそが留学生にとってはリスクと感じられ、優秀な人材が日本留学を敬遠する大きな理由となっていた。

また、多くの日本語学校は、エージェント依存型の構造に依存している。学生は「どの学校を選ぶか」ではなく、「誰に連れられて来たか」という今風で言うと「学生ガチャ・学校ガチャ」経路で入学するケースが多い。結果として、学生の募集が「教育的観点」ではなく「経済的価値」で行われ、教育の本質が後退する。この構造的ゆがみは、大学を含む教育機関全体の競争力と受験における競争原理をじわじわと低下させ、業界全体の水準を押し下げている。背景には、教える側の国際経験の乏しさもある。日本人のパスポート保有率はわずか約17%(2022年統計)にとどまり、実際に海外渡航経験を持つ人はさらに少ない。

対照的にアメリカではその比率が約48%に達しており、差は約3 倍もある。この「海外経験の希薄さ」は、教育現場における国際感覚や多文化理解の不足に繋がり、結果として教育の質や視野の広がりを制約している。さらに、自ら海外へ赴き、優秀な学生を直接誘致できる人材が圧倒的に不足している。日本の教育現場は、国際化を語りながらも、その最前線に立つ教育者自身がグローバル経験を欠いているという構造的な課題を抱えている。

もっとも、教育は理念だけで成り立つものではない。アメリカの大学では年間500万円を超える学費が珍しくないが、その背景には紹介料10%~20%という明確な経済原理が存在する。学費500万円に対して50万円~ 100万円の報酬をエージェントに支払うからこそ、世界中から優秀な学生を積極的に集められる。逆に紹介料を払わない大学に学生を送る動機は弱く、無償で優秀な学生の紹介を期待することはビジネス構造として極めて難しい。

とはいえ、存在しない制度を嘆いても仕方がない。当学園では、この18年間、合格実績の向上と受験情報の可視化によって「Pathway Program」に代わる安心感を日本を志す学生に提供してきた。

日本の大学や日本語学校が「教育は公共である」という理念を保ちながらも国際競争に立ち向かうには、今後は現実的な経済モデルの再設計が不可欠である。現実に、日本語学校の大多数は「学校法人」ではなく「株式会社」として運営されている。これらの教育機関は国の直接的補助を受けず、民間資本によって事業的役割を果たしながら、納税を通じて社会に貢献している。教育の公共性を維持しつつ持続可能な経営を実現するためには、一定の利益を確保し、その収益を教員の待遇改善・教材開発・人材育成へと再投資できる仕組みが求められる。もし「営利性を排した公共事業」として「株式会社日本語教育機関」を運営するのであれば、税制優遇、運営支援など、制度的なバックアップが欠かせない。

日本語教育の現場に必要なのは、理念か利益かという二者択一ではない。教育の公共性と経営の持続性をいかに両立させるか─―その問いこそが、これからの日本語教育、そして日本の国際教育政策全体に突きつけられた最大の課題である。

次の設計図――
日本語教育を

近年、オーバーツーリズム、難民対応、さらには選挙情勢を背景として、外国人に対する過度に厳しい論調が目立つようになった。SNSや一部メディアでは、外国人の存在を治安悪化や社会不安と安易に結びつける言説が増えている。しかし、それらの議論はしばしば本質を捉えず、むしろ世論の「ガス抜き」として機能しているように見える。

確かに、観光地でルールを守らない一部の外国人が目 につくことはある。しかし「外国人」という言葉はあまりにも主語が大きい。個人の行為を「属性」へ拡大し、集団に貼り付けると、冷静な政策議論は失われてしまう。

象徴的なのがオーバーツーリズム、不動産取引、企業のM&Aをめぐる議論である。コロナ禍で外国人観光客が途絶えた時期、日本では多くの事業が資金繰りに行き詰まり、倒産や売却が相次いだ。外国資本による買収に批判が向けられることもあるが、その背景には、需要が失われ事業継続が困難となった企業が「売り手」として存在し、そこに「買い手」として外国資本が現れたという経済の現実がある。

歓迎されない場所で積極的に投資する者はいない。市場は売り手と買い手の利害が一致して初めて成立する。「外国人に買うな」と言うのであれば、それは同時に「日本人に売るな」ということでもある。この構造を丁寧に理解することが、建設的な議論の前提となる。

同様の誤解は、高等教育の分野にも見られる。近年、一部では「東大や慶應といった難関大学で、留学生入試は日本人入試より簡単で不公平だ」といった主張が散見される。しかし、これは制度の趣旨と構造を理解していない論である。両者は本来比較する性質のものではない。大学が求める人材像が異なり、選抜方法も目的も異なる からである。

極端な例えを用いれば、オリンピックでサッカーとバスケットボールの金メダルの「どちらが難しいか」という議論や、ノーベル化学賞と文学賞の「どちらが偉いか」という争点が意味を持たないのと同様である。

それでも比較したいのであれば、必要な学習時間と前提条件で評価する他ない。留学生は外国語で日本の高校レベルの科目を学び、試験に挑み、入学後も学術内容を外国語で履修し単位を取得する。日本人に置き換えれば、英語や中国語で文系理系科目を解くようなものだ。また難関大学ではTOEFL等の高い英語スコアも求められ、結果として彼らは十代の年齢で「事実上のトリリンガル」である。

EJU形式の出題が共通テストと趣旨を異にする点は確かにある。しかし、どちらが受験準備に多くの時間と努力を要するのか、そして難関大学に合格する留学生がいかなる学力・努力を備えているかは、こうした前提を踏まえれば自ずと判断できるだろう。

市場経済とは、本来そのバランスの上に成り立っており、感情論だけで切り離せるものではない。より深刻なのは地方である。地方の中核病院ですら患者減で赤字化が進み、医療体制の維持が難しくなっている。そこで医療ツーリズムの受入れは、地域医療を支える現実的手段となり得る。日本では福祉を「当然の権利」と捉える意識が強いが、外国人の利用で質が下がるとは限らない。むしろ、外国人の利用があることで経営が安定し、結果として地域全体の福祉が維持されることも多い。外国人への風当たりはしばしば社会の閉塞感の反映でもある。例えば、生活水準や収入格差のように、心理的距離が偏見を生み、それが国籍の差として表出する。「来るな」「帰れ」という乱暴な言葉は問題解決には結び付かない感情的反応で、議論でのメリハリのある制度を作る妨害になる。ただ日本の良さは、そうした言葉が暴力に発展しにくい社会的成熟にこそある。

とはいえ、外国人である我々ができることには限りがある。誰を日本に入れるかという決定は、日本国民の民意によって定まる。我々の日本に対する貢献は、今まで培ってきた教育の力で可能な限り日本に来た外国人に対し日本語と日本文化への尊重を教え、母国と日本との良き関係の橋渡し役となるように導くことに尽きる。

いま日本が直面しているのは、「外国人をどう扱うか」ではなく、「どのように社会の一員として共に生きるか」という問いである。そのため、日本で18年間教育事業に携わってきた立場から日本の将来を憂慮するならば、これからの日本に必要なのは、外国人に対する「年齢を問わない総合的な基礎教育の仕組み」だと思う。

今後の日本語学校は単なる語学教育の施設にとどまるべきではないと思う。それは、文化を共有し、社会のルールを学び、相互理解の基盤を築くための社会統合インフラである。

つまり、外国人を「受け入れる」国から、「共に生きる社会を設計する」国へ─―その転換点に立っているのが、いまの日本であり、その基礎教育を支えるのが日本語学校であるべきだ。もちろん中には「日本には子どもの貧困や物価高や地方の過疎化等、問題は山積しているのに外国人の教育に構う余裕がどこにあるのか」という主張も理解できる。しかし、教育は、国の未来をつくる最大の社会投資である。共生する外国人の学びの場を整えることは、彼らのためだけでなく、日本国の未来のためでもあることを理解いただきたい。

留学生のみが通う日本語教育機関を社会統合のインフラに位置付け、学ぶ環境にない外国人に、日本で自立できるよう学ぶ力と生きる力を与え、社会全体で支えること、それこそが、人口減少と多文化共生の時代を生き抜くための次の設計図だと考える。

外国人と共生する日本の未来社会が、教育の力によって偏った政治関係に左右されることなく、穏やかに良くなることを期待したい。(『国際人流』No.433、2025年12月号より転載)

楊舸 行知学園株式会社  代表取締役

1986年、中国陝西省西安出身。2006年に中国で高校卒業後、2012年に名古屋大学農学部を卒業し、2015年東京大学大学院新領域創成科学研究科に進学するも中退。留学・受験経験をもとに受験指導を始め、2008年に留学生向け大学進学予備校「行知学園」を設立。以後、外国人留学生への教育支援、日本語学校運営、キャリア支援事業を展開し、多文化共生教育に尽力する。