「未来志向」を求めて(6)
「侵略を許さず、平和と独立を守り抜く」記念式典に参列

9月3日の天安門広場での記念式典は、「軍事パレード」だったのか?

幸いにも式典に参列する機会を得た。6万人の中国の人々に交じって現場で感じ取ったのは、「民族主義」や「国力の誇示」とはまったく別の感慨だった。“平和と独立の回復を祝い、それを守り抜くことを誓い合う”式典だった。

そのことを何よりも感じさせられたのは、参加者の晴れやかで自信に満ちた明るい表情である。100年に及ぶ被侵略、被植民地化の苦難、それを撥ねのけて始まった新国家の建設過程でも内外で苦闘は続いた。言葉にし難い努力と忍耐の果てに現在の発展と成長をようやく手にした。それぞれがその歩みを振り返りながら、誇らかに威厳さえ醸し出しながら着席していた。怒りや憎しみを読み取ることは難しかった(写真1)。

写真1:一般参列者の様子

習近平主席の談話が始まると、参加者は一言ずつ噛み締めるように頷き、確信を深めるように拍手をしながら聴き入っていた。日本からの参列者の一人としていちばん心に残ったのは、次の一節だった。

「歴史は私たちに警告します。人類の運命は互いに密接に関連しており、すべての国家、すべての民族が平等に接し、調和して共存し、互いに助け合うことによってのみ、共通の安全を維持し、戦争の根源をなくし、歴史の悲劇を繰り返さないようにすることができるのです!」

反ファシズム戦争勝利の80周年を祝う談話でありながら、過去を踏まえつつ、その眼差しは侵略戦争の悲劇を繰り返さない未来に向けられていた。「戦争の根源」を相互信頼の欠如に見出し、平等・共存・相互扶助によって安全な国際環境を生み出して、戦争を克服しようと呼びかけていた。現在の中国が掲げる人類運命共同体の構築こそ世界平和への道であるというそのメッセージは、一国の枠を遥かに超えた普遍性を志向していた。

人民解放軍によるパレードが続くなかで、近くにいた高齢の男性は涙ぐんでいた。「人民の軍隊」の目を見張る発展に安心感を覚え、危機に晒され続けた自主独立はもはや奪われることもないという喜びの涙だったのではないか。

「いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!」から始まる「義勇軍行進曲」や革命歌が演奏されると、ほとんどの参加者が共に歌い出した。その高鳴る思いは、私のような外国人参列者にも波動として伝わってきた。その場にいなければ感じ取れなかった感動的な場面だった。

式典は国際的な空間でもあった。世界26ヶ国からの首脳や国際機関の責任者らが出席したほか、私のような外国人も数多く参加していた。近くにいたイギリスやイタリアからの参加者は、高齢化による退潮が著しい欧州の共産党に比べ、若い世代が次々と入党し、基層からの社会改革を担う中国共産党の発展に希望を見出していた。アフリカや中東からの参加者は、伝統文化や宗教的価値を尊重しながら独自の発展を続け、格差縮小にも成果を挙げる中国のあり方から刺激を受けていた。ロシアなど旧ソ連圏からの参加者は、反ファシズム戦争の東西の主戦場となった経験を、現在再び直面している危機に活かそうとエールを送っていた。彼らもまた、底抜けに明るい表情で肩を組み、天安門前に集い会えた喜びをカメラに収めていた(写真2)。

写真2:喜びの表情の外国人参列者

私が式典に参加できたことをSNSで発信すると、中国の友人たちからたくさんの共感のコメントが届いた。市民の感動をもっとも分かりやすく伝えてくれたのは、大連市に暮らしていた時に猫の保護活動ボランティアを通じて知り合ったMさん(30代)だった。日系IT企業に勤めていたが、リストラされて苦労が続いているなかで、テレビ中継を観ていたという。

「1945年から2025年まで80周年を迎えます! 習主席の『〔偉大な復興の〕勢いは止められない』という言葉を聞いた時、思わず涙がこぼれました。中国は本当に強くなりました。現場には行けませんでしたが、これほど強い民族的誇りを感じたことはありません。血が沸き立つような気持ちでした。/石田先生が重い負荷を背負いながら歴史研究の道を切り開いてきたことに心から感謝申し上げます。歴史を学ぶことは鏡を見るようなもので、自らを正すことができます。歴史と真正面から向き合うことで、ファシズムの再燃を防ぐことができます。今日あらためて、石田先生がこれらの活動を続けてきた意義を深く実感しました」。

ここには「反日感情」も「報復心」もない。彼女が喜びを感じているのは対日戦の「勝利」というより、「自立」と「復興」に邁進できる現在の尊さについてだ。そして、二度と「独立」を脅かされない強さを得たことへの誇りである。彼女自らが歴史に学ぶなかで身に付けた確かな歴史観、民族観は、“民衆理性”と呼ぶほかない。そこから見れば、日本で拡がる歴史の歪曲や、戦争責任の否認・曖昧化は、再び現れた危機だと映る。だからこそ、二度と侵略を許さず、独立を守り抜くことを誓う“平和と正義”のパレードだったのだ。本来あの現場に立ち会うべきなのは、彼女のように階級意識に目覚めた人民である。彼/彼女らこそ、私/私たちが何者なのかを映す「鏡」だ。現在の日本は“侵略と抑圧の側”にあるのか、それとも“平和と共存の側”にあるのか?

日本から参列していた近代中国史の専門家が、“軍事で近代化を進めるのは、過去の日本が失敗した道だ”と語るのを耳にした。侵略のための軍備増強と、それを阻むための軍事力を同一視していては、この式典で市民が感じた誇りの意味を捉え損ねるだろう。「中国に利用されないように」と式典出席の取り止めを各国に呼びかけた日本政府について、吉林省での国際会議で同席した中国の研究者がコメントを送ってきた。「私も本当に理解できないんです。単純に中国が嫌いというだけなんでしょうか」。

あるいは、イスラエルによる大虐殺が続くパレスチナの被害者なら、この式典の意義をどう受け止めるか、と問い直せば分かりやすくなるだろうか。それでも「国威発揚」「党の正統性」のための軍事パレードだと見えるのなら、戦中だけでなく現在まで続く侵略、虐殺、制裁の「前史」を捨象し、不均衡・不公正な世界のあり方を「国際ルール」として正当化しているからではないか。正しく未来志向であるためには、いま侵略と闘っている人民の立場と観点に立つことが出発点になる。